染谷将太も大ファン!“デスマッチのカリスマ”葛西純激白!「血と涙と蛍光灯」傷だらけ人生の画像
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 ブラッシー、シーク、ブッチャー……昭和の時代から、凶器と鮮血はプロレスの華だ。90年代、大仁田厚が有刺鉄線を駆使した試合で人気を集めた時期を経て、独自の進化を遂げた日本のデスマッチ。今や、世界中のファンから“ジャパニーズスタイル”として支持を集めていることはご存じだろうか。

 その最前線で闘い続けるのが、“デスマッチのカリスマ”葛西純(46)だ。蛍光灯で殴り合い、マットに撒かれた無数の画びょうの上で受け身を取り、畳1畳以上もあるガラスボードに飛び込む……。今日も肉体に傷を刻み続ける彼に、恐怖心はないのだろうか。

「率直に言うと、全部痛いですよ(笑)。皮膚がスパッと切れて、割れたときの音や煙で派手さがあるのは蛍光灯だけど、ガラスはガラスで肉が削れるように深い傷を負ってしまう。これは“デスマッチファイターあるある”なんですけど、試合の1週間後に背中をかいていたら、ガラスの破片がポロッと出てくることがあるんです」(葛西氏=以下同)

 そんな葛西だが、どんなケガを負っても“リングの魔力”のおかげで試合を続けられるという。

「ふだんは病院で注射を打つのも怖いし、高い所に立ったら膝が震えます(笑)。でも、試合になると自然に体が動くんです」

 09年11月20日、後楽園ホールで行われた伊東竜二との試合では、2階のバルコニーから6メートル下の相手に飛ぶダイブを敢行し、プロレス大賞の年間最高試合賞を獲得した。デスマッチの試合としては、19年ぶりの受賞だった。葛西は、この試合に臨むにあたって、引退を決意していたという。

「あの頃は病気やケガで欠場が続いて、復帰後もホテルの掃除の仕事をしなきゃ、生活できなかった。朝5時まで清掃作業をして、夕方からリングに上がる日々が続く中で、“報われないな”と思ってた。でも、試合で声援を浴びたときに“ここで辞めたら抜け殻になってしまう”と怖くなったんです」

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