ビートたけしと島田洋七「紙袋2000万円で銀座行き」スター芸人「豪快伝説」の画像
ビートたけし

 やることなすこと規格外の大物たち。自粛警察もコンプライアンスも黙るぶっ飛びエピソードでコロナに喝!

 コロナ禍で窮屈な生活を強いられている昨今。こんな時代だからこそ、昭和芸人たちの痛快なエピソードでスカッとしたいもの。まずは、「落語界の風雲児」と呼ばれた立川談志。『笑点』を自ら企画して実現する一方、奇抜な行動や過激な発言でも知られた。1971年、談志は参院選全国区に出馬。

「選挙カーに乗って演説していると、反対車線から対抗馬の車が来た。普通なら“○○先生、ご健闘をお祈りしております”と礼儀を尽くすのが暗黙のルールですが、談志はマイクを取って、“○○先生、落選をお祈りしております!”と叫んだんです」(芸能記者)

 最下位で当選した談志は、75年に沖縄開発庁政務次官に就任。沖縄海洋博視察の際、二日酔いの状態でサングラスをかけて会見に臨んだことで地元の記者に詰められてしまう。記者から「沖縄の失業率は何%か、ご存じですか?」「沖縄の面積は?」といった質問を次々と浴びせられると、談志は「うるせえ! 俺はクイズ番組に出てんじゃねぇんだ!」と反撃。「公務と酒のどちらが大切なんだ」と問われると、「酒に決まってんだろ!」と吐き捨てた。

 その2日後、発言を弁明するはずだった参院決算委員会を欠席して寄席に出たことが物議を醸し、就任から36日で辞任することに。

 一方で、こんな“粋”なエピソードも。「タクシーに乗っていると、運転手が“あんたたち芸能人は楽でいいよな。テレビに出てうまいもん食っただけで、たくさん金をもらえるんだろ。それに引き換え、俺たちは大変だ”と愚痴ってきた。すると談志は、こう返したそうです。“その通り! なんでアンタはやらねぇんだ?”」(前同)

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