『鬼滅の刃』しのぶ、カナヲは実在した?「江戸・幕末」の女性剣士3人の画像
写真はイメージです

 大人気アニメ『鬼滅の刃』にも登場するように、まさに男性顔負けの“女性剣士”は実際、日本史の中に存在した。代表的な剣士は3人。中でも佐々木累は、池波正太郎の時代小説『剣客商売』に登場した佐々木三冬のモデルとされ、明治半ばに刊行された『大日本人名辞書』に、その詳細が記され、戦国時代末から江戸初めにかけ、伝説的な存在だったことが分かる。

 そんな彼女は幕府の大老だった土井利勝が佐倉藩主だった時代(1610年〜1633年)、剣を持って彼に仕えた佐々木武太夫の一人娘として生まれ、父から剣術の指南を受けた。そして、いつしか「女丈夫」と名を馳せるようになり、父はそんな娘に婿を取らせて家を継がせようとしたものの、男たちは腰が引けたのか、ことごとく彼女の元から去ってしまう。

 すると、そのうちに父が亡くなり、ついには家名断絶。その後、江戸に出て浅草の聖天町で剣術指南を開始した。

 紺緒の草履に四ツ目結の家紋を散らした黒縮緬の羽織に両刀を差して市中を闊歩したことから、無頼の徒だった旗本の次男坊ら(旗本奴)に難癖をつけられることも少なくなかったが、逆に撃退した。

 当然、風紀の乱れを懸念した江戸町奉行の石谷左近将監貞清から奉行所に呼び出しを受け、「編み笠を被り、頭巾を用いて面部を覆い、もって男子に扮すべし」(『大日本人名辞書』)と注意されたが、彼女は「武辺の士を迎えて夫となし、もって再び家名を興さん」(『同』)と、男装しない理由をこう言い放った。

 すると、奉行はこれに感嘆。このエピソードがいつしか佐倉藩にも広がり、さらに藩主だった利勝の耳にも届き、利勝は藩内随一の武辺者だった小杉重左衛門の次男である九十九に累を娶らせたとされている。

 一方、幕末にも伝説の女性剣士が存在した。その一人が新徴組の隊士だった中沢琴である。琴は上野国利根村穴原(沼田市)で剣術道場を開く中沢孫右衛門の娘に生まれ、今から4年前にNHKBSプレミアムで放送されたドラマ『花嵐の剣士〜幕末を生きた女剣士 ・中澤琴』では、女優の黒木メイサが彼女を演じた。

 その琴の身長は当時、男性でもなかなか珍しかった一七〇センチ台とされ、日本人離れした体形だったようで、文久三年(1863)正月、新徴組(浪士組)隊士となるために兄の貞祇とともに江戸に出ると、男装して市中の取締りに当たり、その凛々しい姿に娘たちが熱狂したという。

 そんな彼女が所属した新徴組は、京の市中を取り締まった近藤勇らの新撰組が会津藩のお抱えだったのに対し、庄内藩の指揮下に入り、屯所は庄内藩邸(千代田区飯田橋)に置かれていた。

 そのため、戊辰戦争では反政府軍の主力だった庄内藩とともに転戦。琴も戊辰戦争に従軍し、新政府軍十数人に取り囲まれる中、二、三人を斬り伏せて敵中を突破したといわれる。

 戦後、兄とともに帰郷。求婚する男性は多かったが、剣術の試合で彼女に勝てる者はおらず生涯を独身で通し、九〇歳近い長寿を全うしたという。

  1. 1
  2. 2