■首相の器にないことを自ら悟っていた可能性

 伊藤は首相を辞任したうえで、他に適任がいないというコンセンサスを元老から取りつけて返り咲く魂胆だったというのだ。

 だが、明治天皇は五月四日、公家出身の西園寺公望枢密院議長を臨時首相に任命。山県、松方、井上、西郷従道(隆盛の弟)の元老四人に次期首相について諮問し、五月八日に西園寺を交え、西郷邸で会議が開かれた。

 当然、井上は年齢的にこれが事実上、最後のチャンス。『伊藤博文 近代日本を創った男』(伊藤之雄/講談社)によれば、明確に首相に名乗り出たわけではないものの、色気を見せたといい、盟友関係にあった伊藤と首相の座を巡って対立した形となったが、結果、自身に白羽の矢が立った。

 そして、明治三四年(1901)五月一六日、天皇から井上に組閣の大命が下ったにもかかわらず、誤算が発生。閣僚として希望した候補者が相次いで辞退し、中でも井上の元部下で、当時は財界の中心人物だった渋沢に大蔵大臣を断られたことは大きな痛手だった。むろん、渋沢は民間財界人の立場にこだわりたかったのだろう。

 一方、井上は五月二三日、大命拝辞を奏上して首相の座は幻に終わり、長州藩の後輩だった桂太郎が就任。井上は渋沢に当時、「失敗して退くようなら、名を汚すことになる。君が断ってくれてよかった」と語ったとされるように、必ずしも首相の地位を望んでいなかったのだろうか。

 自身の性格をよく知り、かつて伊藤に弱音を吐いたように、首相の器にないことを悟っていたのかもしれない。

●跡部蛮(あとべ・ばん)1960年、大阪府生まれ。歴史作家、歴史研究家。佛教大学大学院博士後期課程修了。戦国時代を中心に日本史の幅広い時代をテーマに著述活動、講演活動を行う。主な著作に『信長は光秀に「本能寺で家康を討て!」と命じていた』『信長、秀吉、家康「捏造された歴史」』『明智光秀は二人いた!』(いずれも双葉社)などがある。

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