毒蝮三太夫も暴露!座布団の秘密も…『笑点』祝55周年「知られざる」伝説の画像
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 日曜夕方のお茶の間に、半世紀以上にわたって笑いを届けてきたご長寿番組。その抱腹絶倒の逸話を公開!

 “日本で最も長く放送されている全国ネットのバラエティ番組”『笑点』(日本テレビ系)が、この5月で55周年を迎える。これを記念して、国民的お笑い番組に関する、まさかの秘話、笑えるエピソードなどを55連発で、紹介する!

『笑点』のスタートは1966年5月15日。野球では巨人のV9時代2年目で、相撲界は柏鵬時代。ビートルズが来日する直前のことだ。『笑点』という番組タイトルは造語である。

「三浦綾子さんの小説『氷点』のパロディだという説と、“笑いのポイント”という意味で考えられたという2説ある。ただ、番組当初のテーマ曲『笑点音頭』の歌詞にも“笑いのポイント”というフレーズがあるので、後者が有力とも」(お笑いライター)

 もともと『笑点』は、立川談志司会の『金曜夜席』という番組の放送枠を変えて刷新したものだ。

「そのため、談志以下、同番組に出ていた先代の三遊亭円楽、柳亭小痴楽、桂歌丸、林家こん平が、そのまま『笑点』にスライド出演したんです」(テレビ関係者)

 そこに、三遊亭金遊(のちの小円遊)が加わった初代大喜利メンバーの平均年齢は29歳(談志30、円楽33、小痴楽31、歌丸29、小円遊28、こん平23)。今日、“お笑い第七世代”と呼ばれる芸人らと変わらぬ若さだった。

「中でも、談志は番組の企画に関わるプロデューサー的存在でした。大喜利をメインにする構成も、彼のアイデアです」(前同)

 当時、座布団運びをやっていた毒蝮三太夫は、談志時代を知る貴重な証人だ。

「談志が常に言っていたのは“俺を笑わせろよ”ということ。だから円楽も歌丸もみんな、談志に向かって答えていたわけですよ。それで厳しく切磋琢磨していたんですよね。談志は、“俺が笑えば、視聴者も笑うし、落語を知らない人もついてくるから”と。まあ“俺様主義”のプロデューサーでしたね(笑)」

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