■極秘裏に政界ルートで接触!?

 そんな晩年の張本と、若き日にロッテで“同じ釜の飯”を食べた落合博満も、“世紀のトレード”の主役となった。落合が2年連続3度目の三冠王に輝いた86年オフ。よき理解者だった稲尾和久監督の解任を引き金に、彼の周囲は騒がしさを増す。

「本人にそのつもりはなくとも、当時のロッテは落合と有藤通世が、派閥の領袖。よく知られる、落合の“稲尾さんのいないロッテに自分は必要ない”発言は、有藤が、引退後すぐに稲尾の後任に収まったことと無関係ではありません。ただ、いざ他球団に移籍するとなっても、当時の彼は1億の大台に迫る球界一の高給取り。当然、移籍先の筆頭候補は資金力豊富な巨人でした」(球界事情通)

 しかし、ここで巨人を出し抜いたのが、39歳の若さで中日の新監督に就いた“闘将”星野仙一だった。星野は「彼の存在こそ中日には必要」と即断。地元、岡山の政界ルートを通じ、ロッテ球団との接触を図る。

「ロッテの重光武雄オーナーが、岸信介元首相と親しいことに目をつけた星野監督は、岡山選出の加藤六月代議士を通じて、岸の娘婿である安倍晋太郎元外相と面会。重光オーナーに渡りをつけます。ロッテ本社へは、監督が自ら出向いたといわれています」(スポーツジャーナリスト)

 落合一人に、中日側が牛島和彦・上川誠二・平沼定晴・桑田茂の4選手を差し出す異例のトレードには、反対意見も多かった。だが、時の中日オーナー・加藤巳一郎は“功労者”星野を全面的に支持。かくして全国紙の運動部記者やスポーツ紙記者たちが寝耳に水の、電撃トレードが成立する。

「とりわけスター選手だった牛島は、即答を拒否するなど、心中穏やかではなかったはず。ただ、結果的にはロッテで2度のタイトルを手にし、キャリアハイもマーク。総じて実のあるトレードでした」(前同)

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