長嶋茂雄、清原和博、イチロー…プロ野球オールスター「伝説の名勝負」驚愕舞台裏の画像
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 セ・パのスター選手が集う夏夜の宴。お祭り気分といえども、好敵手と向き合えば、内なる闘志がぶつかり合う!

 埼玉県所沢市のメットライフドームと宮城県仙台市の楽天生命パーク宮城において、プロ野球オールスターゲームが2年ぶりに開催。今号は、名だたるスター選手が繰り広げてきた、歴代の名勝負にスポットライトを当てる。関係者だからこそ知りえる、「秘話」とともに振り返ってみよう。

 オールスター戦や日本シリーズのようなヒノキ舞台で無類の勝負強さを発揮した“お祭り男”の元祖といえば、やはりミスター、長嶋茂雄を置いて他にいない。巨人入団から引退まで17年連続でファン投票1位(1964年のみ故障で辞退)。ペナント、オールスター、日本シリーズのすべてで通算打率が3割を超えているのもミスターが唯一。

「数ある名勝負の中でもミスター自身が“一番緊張し、印象に残っている”として挙げるのが初出場した58年。全セ監督の水原茂が大物ルーキーをあえて一番に置くサービス精神を見せた。それに対し、全パ・三原脩監督が、ミスターと立教大で同期だった南海、杉浦忠の先発起用で応えた第一戦です」(元巨人担当記者)

 同期対決は、1打席目はストレートの四球。2度目の対決となった2回二死一、二塁の場面でライト前ヒットを放ち、オールスター初安打&初打点を記録した。

「ミスターは“スギは珍しく固くなっていた。彼が本調子なら、そう打てないよ”と話して、元同僚を気遣っていました。プロで実現した盟友との直接対決には、万感の思いがあったんでしょう」(前同)

 そのミスターとともに巨人で一時代を築いた王貞治も、現役生活22年で歴代最多の58試合に出場した、まさに球宴の“顔”だった。球宴通算本塁打は13本。そのうち王自身が「最も印象に残る」として、必ず挙げるのが、62年の第2戦。前年30勝の東映エース・土橋正幸から打った一本だ。

「当時の王さんは、代名詞の“一本足打法”を実戦投入したばかり。さらにオープン戦では土橋に抑え込まれていた。そんな中、放った一打は、内野手がジャンプするほどの低い弾道でしたが、そのまま右翼席に一直線。王さんはいまだに“14度も球宴で表彰されたけど、あの1号が一番の思い出”と語っています」(同)

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