ジャニーズのすべてを変えたのは「SMAP」だった!逝去・メリー喜多川氏と田原俊彦「独立」の因縁の画像
SMAP

 弟のジャニー喜多川氏(享年87)とともに“ジャニーズ帝国”の礎を築き、ジャニーズ事務所名誉会長でメリー喜多川として知られた藤島メリー泰子(ふじしま・めりー・やすこ)氏が、肺炎のため都内の病院8月14日に亡くなっていたことが明らかになった。93歳だった。8月17日、ジャニーズ事務所が発表した。

 メリー氏の逝去を受けて、東山紀之(54)は「厳しいマネージャーであり、良き理解者であり、そして、優しい母親でもありました。私の人生でなくてはならない存在のメリーさんが天国に旅立ちました」とコメントを発表。

 元SMAP木村拓哉(48)も8月17日にインスタグラムを更新して「どんな時も、前向きな心と言葉をいつもありがとうございました!! ゆっくり、休んで下さい」と、メリー氏の名前は出さなかったものの、感謝の言葉を綴った。

 かつてジャニーズ事務所に所属していた歌手の田原俊彦(60)は、2020年12月の『文春オンライン』のインタビューでメリー氏との交流について語っており、「ジャニーさんはトラブル対応は得意じゃなくて、そういうときはいつもメリーさんが助けてくれた。レッスンにも立ち会ってくれて。本当に可愛がってもらった記憶がたくさんある」と振り返った。

 また、メリー氏はタレントファーストで、スタッフやマネージャーには厳しかったとしつつ、メリー氏と一番ケンカしたのは自分だと明かし、「誰よりも歯向かったし、誰よりも戦ったからね。“ふざけんな!”って事務所のガラス割ったときはさすがに怒られたな」と苦笑しつつ語った。

 8月18日、田原は都内で行われたイベントに登壇。メリー氏について「ジャニーさんがクリエイターならメリーさんはプロデューサー。政治的なもめ事も含め、いわゆる怖い人を演じないといけなく大変だったと思いますが、タレントファーストの優しい方」とコメント。

 さらに、ここでも「僕はメリーさんが好きでしたが、たぶん僕が一番もめてケンカした。メリーさんからしたら、一番面倒くさいタレントだったと思います」と振り返っている。

 1991年当時、交際していた中山美穂(51)と田原がハワイ旅行に行き、その帰国時、詰めかけたマスコミの前に姿を現した中山をガードしていたのは、同じ便に搭乗していた森光子さん(享年92)、泉ピン子(73)だった。大御所女優に任せて1人で飛行機を降りた田原に対し、メリー氏は「自分で守らなきゃダメ!」と激怒したと、8月18日の『スポニチアネックス』では伝えている。

「ただ、田原が森さんらに任せたわけではなく、自分にマスコミを引きつけて中山を守ろうとしたとも言われていますね。しかし、メリー氏は森さんらに迷惑をかけたことを怒っていたといいます。

 その田原が、メリー氏が逝去したこのタイミングで『週刊文春』(文藝春秋)に登場したことに、何か因果を感じてしまいます」(夕刊紙デスク)

  1. 1
  2. 2
  3. 3
  4. 4
  5. 5