吉幾三(撮影・弦巻勝)
吉幾三(撮影・弦巻勝)

 15歳のとき、演歌歌手になりたくて、青森から上京しました。なにしろ、青森の中でも訛りがきつい五所川原というところで生まれ育ったから、最初は言葉がコンプレックスでしたね。師匠の米山正夫先生からは「君は珍しい発音をするね」って言われたりして(笑)。

 最初は“山岡英二”という芸名でデビューしたんです。でも、演歌じゃなくて、ヤンマーディーゼルのCMソング。『恋人は君ひとり』という曲でした。これが全然売れなくて、“もうなるようになれ!”って作ったのが『俺はぜったい! プレスリー』と『俺ら東京さ行ぐだ』。これが大ヒットしたわけです。

『俺ら東京さ行ぐだ』のときは、事務所の電話が鳴りっぱなしでね。僕が出ると「マネージャーか? 吉幾三に言っとけ。今どき、五所川原にだってテレビもラジオもある。五所川原の人間が地元をバカにするんじゃねぇ!」なんて、お叱りを受ける。“いや、俺が吉幾三なんだけどな”と思いながら「ハイ、ハイ」なんてね(笑)。

 その後、『雪國』という曲で、ようやく演歌で皆さんに知ってもらえるようになりました。もう30年以上、歌っていますけど、「今聞いても全然、古さを感じない」とよく言ってもらえます。これは一番うれしいですね。

 海外に行っても、“日本の歌”と言えば、ありがたいことにこの曲を挙げてくれる。以前、アメリカで日本人経営のカラオケ店で歌ったことがあるんだけど、現地の人がカラオケの映像を見ながら「この歌は友達もみんな知ってるよ」って。それで「彼は元気なのか?」って聞くわけ。「俺だ」って言うと「いったいどうしたんだ!?」と驚くの。カラオケは若い頃の映像だから、「俺も年を取ったんだよ」って(笑)。

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