■城島「僕らもSMAPみたいにおしゃれな音楽をやりたい」

「元ジャニーズスタッフらによる著書『SMAPがいた。僕らがいた』(主婦と生活社)によると、スポンサー等への配慮でカットされたものの、01年にTOKIOがキリンのラガービールとタイアップした『カンパイ!!』をリリースした際、音楽のノリが不服だったらしく雑誌取材の際に城島が“僕らもSMAPみたいにおしゃれな音楽をやりたい”としみじみ語っていたそうです。ちなみに、当時のSMAPのヒット曲は『SHAKE』や『ダイナマイト』。“おしゃれな音楽”と評するのも納得です」(専門誌記者)

 同書によると、SMAPのコンサートにデビュー前のTOKIOが登場すると主に中居がトークで軽くイジりながらも盛り上げ、「みんな、TOKIOの応援もよろしくね」と会場ファンにもPRしてくれていたという。デビューの時期は違うが年齢は近かったこともあり、関係は良好だったようだ。

 ちなみにTOKIOのデビュー当時について、木村拓哉は昨年12月23日の『TOKIOカケル』(フジテレビ系)で、

「“バンド”っていう形態を、男闘呼組以来にやるって聞いて。『ほお~!』って」

 と回想していた。当時の城島はまったくデビューの気配もなく、いつも合宿所に住んでいるような状態だったため、

「ギターが、合宿所の無限の住人だったから、『うわあ、あの人がギターなんだ』って」「だってさ、(合宿所で)ずっと耳かきしてるんだよ!? 踊らないし、『何してんだろう?』と思って」

 と、木村は城島のデビューに驚いていたそうだ。

「TOKIOでは松岡昌宏(44)は紫色が大好きで、中学時代は紫のダブルのスーツでキメていたのは有名な話ですが、これは木村が89~91年放送の『アイドル共和国』(テレビ朝日系)で“(SMAP衣装の)スーツ、かっこいいですね”と話す松岡に“もう1個あるから”とプレゼントした服だといいます」(前同)

 最近でも、昨年6月に木村は松岡主演ドラマ『家政夫のミタゾノ』(テレビ朝日系)のポスターを前に、

《エレベーターにこのサイズのポスター……(顔文字)迫力が……(顔文字)松岡ぁ〜‼︎ファイトぉ〜!!》

 と、インスタグラムでエールを送っていたこともある。

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