関ジャニ∞・村上信五「メンバー脱退」「解散の危機」に決意「抜けるはもうない」「一蓮托生」にファン涙!の画像
村上信五(関ジャニ∞)

 1月16日放送の『行列のできる相談所』(日本テレビ系)で、2022年に結成20周年を迎える関ジャニ∞が、デビュー当時の屈辱的な過去やメンバー脱退時の裏側を赤裸々に語った。関ジャニ∞は2002年に関西ジャニーズJr.内のグループとして結成、2004年に『浪花いろは節』で、関西限定でCDデビューをはたした。

 ジャニーズのデビュー発表といえば、はハワイのクルーザー上、2021年にデビューしたなにわ男子は大阪から羽田までチャーター機で乗りつけて羽田空港の格納庫で会見を開くなど、盛大で華やかなイメージだが、当時、関ジャニ∞は所属していたレコード会社の屋上で行われた。これについてメンバーの丸山隆平(38)は「なんかちょっと毛色ちゃうなみたいな」と、他のデビューグループとの格差を振り返り、安田章大(37)も「今もトラウマですね」と振り返った。

 関ジャニ∞は大阪の松竹座でコンサートや舞台を行っていたが、デビューから2年は単独公演では客席がガラガラ。大倉忠義(36)は「ジャニーさんがすごい“ヤバいよ”言ってたの覚えてますね。“客が入らないんだよ”って言って」と故ジャニー喜多川氏も頭を抱えていたと告白。

 この状況を打破するため、スタッフは当時関東のJr.で大人気だった亀梨和也(35)や生田斗真(37)らをスペシャルゲストに呼んだ。客席は満席になったが、横山裕(40)は「切なかったですね」と明かし、「KAT-TUNの亀とか、斗真とか、すごい申し訳なかった」と、当時の悔しさを語った。

 また、音楽番組に呼ばれたときには、他のアーティストとは違うぞんざいな扱いをディレクターから受けたといい、村上信五(39)は「悔しかったことしかないぐらい」と回想し、大倉も「みんなで言ってましたね、“アイツ見返したろう”って」と続けた。

 しかし、2007年にはジャニーズ事務所初の全国ツアーを開催。2011年には『24時間テレビ』(日本テレビ系)のメインパーソナリティに就任、同年にグループとして初の全国5大ドームツアーを行うなど、快進撃が始まる。

 順調に活躍を続けていたが、2018年にメインボーカルを務めていた渋谷すばる(40)、翌年には同じくメインボーカルの錦戸亮(37)が相次いで脱退。渋谷の脱退について、横山は本人と何度も話し合っていたと明かし、「止められなかったの、ちょっと俺のせいちゃうかな? と思ってた」と顔をゆがめ、丸山は「なにもできなかった。正直、僕は」と目を潤ませた。

 そして錦戸の脱退が決まった際には、「世間的に見て、リードボーカルがいなくなってるし、まあ“屋号(関ジャニ∞)なくすか?”って話もありましたけどね」と、解散についての話も出たと安田。横山も「心折れたのは折れましたね」と当時の心境を語った。

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