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日本が世界に誇る「アイドルグループ」豪華絢爛フェロモン史

[週刊大衆09月22日号]

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年間ヒットチャートで、トップ20のうち18曲がアイドルグループの作品――。わが国の音楽シーンは、世界にも類を見ない状況だ。そこで今回、第一部ではアイドルグル―プの歴史を、続く第二部では個々のメンバーのフェロモン史に焦点を当てて紹介していこう。

第一部 女性アイドルグループの変遷

1950年代には、スリー・グレイセスなどの女性コーラスグループや、かしまし娘のような音曲漫談トリオがすでに活躍していたものの、「女性アイドルグループ」の誕生は、1960年代の直前まで待たねばならなかった。

伊藤エミとユミの双子の姉妹、ザ・ピーナッツ(59年デビュー=以下同)である。日本語の歌詞をつけた海外のヒット曲や、洒脱な和製ポップスで人気を博した彼女たちは、同年にデビューしたこまどり姉妹とともに「双子の女性デュオ」というジャンルを確立させた。

この流れは、のちにザ・リリーズ(75年)、リンリン・ランラン(74年)に引き継がれた。また、コンビの間に血縁関係はないものの、70年代に社会現象にもなったピンク・レディー(76年)や、80年代のWink(88年)、90年代のPuffy(96年)も、いわばそのチルドレンと言えるだろう。

1970年に登場したゴールデン・ハーフは、大人数グループの走りと言っていいだろう。その名にたがわず、メンバーすべてがハーフというこの4人組は、ミニスカで見せるスタイルの良さと、エキゾチックな雰囲気で人気者に。

また、ラン、スー、ミキの3人組によるキャンディーズ(72年)は、人気やレコードの売り上げではピンク・レディーに後れを取っていたものの、人気絶頂の78年、後楽園球場に5万5000人の観客を集めた解散コンサートによって、後世に語り継がれる伝説的グループとなった。

1980年代前半の芸能界は、アイドルグループにとって冬の時代。かろうじて、少女隊(84年)やセイントフォー(84年)が気を吐く程度だった。

そんななか、革命は深夜番組から始まった。素人の女子大生による『オールナイトフジ』(83年開始)によって、"女子大生ブーム"が起こったのだ。出演者はオールナイターズと呼ばれ、番組からはおかわりシスターズ(84年)なる派生グループも誕生、レコードデビューを果たしている。

番組の成功に味をしめたフジテレビは、85年に素人の女子高生を中心に据えた番組『夕やけニャンニャン』を開始。モンスターグループ、おニャン子クラブ(85年)の誕生である。

おニャン子が後世に与えた影響はとてつもなく大きく、その後、テレビ局主導のグループが形を変えて、いくつもデビューした。

フジテレビによるタレント育成講座『乙女塾』は、CoCo(89年)、ribbon(89年)を輩出。負けじとテレビ朝日は、番組『桜っ子クラブ』でさくら組(91年)をプロデュースしている。

なお、フジテレビが生んだアイドルグループの流れは、短命に終わったチェキッ娘(98年)を経て、現在も活動中のアイドリング!!!(06年)に引き継がれている。

平成に入ると、「巨乳ブーム」のあおりを食らい、アイドル界にもセクシーなお姉さんグループが台頭するようになった。C.C.ガールズ(90年)、ギリギリガールズ(91年)、シェイプUPガールズ(94年)などである。

一方、素人ばかりのおニャン子ブームの反動で、90年代はダンスも歌もきちんとこなす"職業的"アイドルグループが登場した。

真っ先に注目を集めたのは、東京パフォーマンスドール(90年)であったが、その後、沖縄アクターズスクールの出身者が世を席巻するようになる。スーパーモンキーズ(92年=後に安室奈美恵とMAXに分裂)、SPEED(96年)、Folder5(00年)などは、歌唱力とパフォーマンス能力の高さが観客に支持された。


今やアイドル界は戦国時代!

一方で、観客に「アイドルを自ら育てる」という概念を植え付けたのが、97年デビューのモーニング娘。である。テレビのオーディション番組で、最終選考に落ちた5人によって結成されたこのグループは、メンバーが加入と卒業を繰り返すシステムを確立。新陳代謝を活発にすることで新鮮さを保ち、結成から17年たった現在でもチャートで1位を取る活躍を見せている。

なお、モー娘の成功は、『ハロープロジェクト(ハロプロ)』と呼ばれる、巨大な"系列団体"を生み出した。カントリー娘。(99年)やBerryz工房(04年)、℃-ute( 05年)、スマイレージ(09年)などもそこに属している。

21世紀に入ると、アイドル界に変化が訪れた。観客は、テレビやCDなどの媒体を通すよりも、ステージ上のアイドルをナマで観るようになったのだ。

ライブを中心に据えた芸能活動なら、地方でも行える。そんな動きから現れたのが、広島出身のPerfume(00年)や、新潟を中心に活動するNegicco(03年)だが、中でも最大の成功を収めたのが、AKB48(05年)だ。

「会いに行けるアイドル」として、東京・秋葉原の一角に専用劇場を設け、そこでほぼ毎日ライブを行う一方で、握手会など、直接アイドルと触れあえるイベントを催し、ファンの心をガッチリつかんだ。

その後、AKBは、秋葉原から他の地区に進出。今では名古屋・栄のSKE48(08年)、大阪・難波のNMB48(10年)、福岡・博多のHKT48(11年)のほか、上海やジャカルタにも支部があるうえ、「公式ライバル」の乃木坂46(11年)まで存在する。

このAKB戦略の成功により、2010年代のアイドル界は「戦国時代」に突入する。

それまで活動を続けていたグループに加え、「イベント中心の芸能活動ならば、大資本の事務所じゃなくても十分に商売になる」と言わんばかりに、かつてない数のグループが市場に参入したのだ。

その実態は、まさに多種多様。少ないが確実にいるファンを相手に、地道な活動を細々と続けるグループがいる一方で、9nine(05年)、でんぱ組.inc(08年)、東京女子流(10年)、SUPER☆GiRLS(10年)、BABYMETAL(10年)、E‐girls(11年)は、武道館で単独コンサートを開くほどの成功を収めた。

一方、大手芸能事務所に所属するももいろクローバーZ(08年=結成当時の名称は「ももいろクローバー」)や、その妹分の私立恵比寿中学(09年)やチームしゃちほこ(11年)ら『3Bjunior』グループも、楽曲の良さやステージパフォーマンスがサブカル層に受け、いまやハロプロ、AKBと並ぶ巨大勢力となっている。


第二部 スターたちの華麗なる歴史

第二部では、彼女たちが放った濃厚なフェロモンを、さらに掘り下げてみることにしよう。

60年代に全盛期を迎えたザ・ピーナッツは『ザ・ヒットパレード』(フジテレビ系)、『シャボン玉ホリデー』(日本テレビ系)の2大人気番組のレギュラーを務めることで、渡辺プロダクションの黄金時代を牽引する役割を果たした。

卓越したハーモニーに加え、コントもこなせるザ・ピーナッツは、アイドルである前に、超一級のエンタテイナーだった。

「今のアイドルより、ずっと大人の雰囲気がありましたね。『シャボン玉~』で、父親役のハナ肇に2人が"お父っつぁん、おかゆができたわよ"と話しかけるコントは一世を風靡(ふうび)したものです。ザ・ピーナッツ以降、歌手にバラエティでコントをやらせるのがナベプロの伝統になりました。のちに出てくるゴールデン・ハーフしかり、キャンディーズしかり、です」と指摘するのは芸能評論家の小松克彦氏。

ザ・ピーナッツは『ウナ・セラ・ディ東京』『恋のフーガ』などヒット曲も多かったが、75年、姉のエミが沢田研二と結婚することになり、芸能界を引退した。83年に沢田と離婚したエミは12年に死去(享年71)。

「芸能関係者の間では"もう一度、円熟期のザ・ピーナッツが見たかった"という声が、いまだに聞かれるほど。それくらい才能にあふれたデュオでしたね」(ベテラン芸能記者)

70年『黄色いサクランボ』のヒットで注目されたのがゴールデン・ハーフエバ、マリア、ルナ、ユミのメンバー4人がハーフ美女というもの珍しさもあり、テレビで大活躍した。

「今で言うおバカキャラのエバが際立ってましたね。4人ともミニスカが似合う健康的なお色気の持ち主でした」(前出・小松氏)

後年、ユミの両親は日本人だったことが明かされたが、それもご愛嬌。当時のファンは、全員ハーフと信じていたのだ。

70年代後半、女性アイドルグループのあり方を一新させたのが、ラン(伊藤蘭)、スー(田中好子)、ミキ(藤本美樹)の3人から成るキャンディーズだった。

75年、5枚目のシングル『年下の男の子』のヒットで火が点いたキャンディーズ人気は、77年に解散宣言をしたことでヒートアップ。翌年4月の解散コンサートに向けてファンの熱気は頂点に達し、ついにラストシングル『微笑みがえし』が初のオリコン1位に輝くという快挙を達成した。

「ボクはキャンディーズのメンバーの1~2歳年下なので、『年下の男の子』はドンピシャでしたね。自分のことを歌っていると勝手に妄想して、盛り上がったのを覚えてますよ」と明かすのは、エッセイストの下関マグロ氏。

「当時『明星』や『平凡』に載っていた彼女たちの水着のグラビアやポスターに、どれほどお世話になったことか。歌番組は夏にプールサイドから中継することが多かったんですが、テレビは一家に1台、ビデオもない時代ですからね。キャンディーズの水着姿を脳裏に焼き付けておき、自分の部屋に戻ってから映像を思い出しつつ……いけない行為にふけったものです(笑)」


太ももの大胆露出で人気に

解散発表時「私たち、普通の女の子に戻ります!」と絶叫したキャンディーズだが、藤本を除く2人はほどなく芸能界に復帰。しかし、田中が11年に乳ガンで死去(享年55)したため、3人が顔を合わせる機会は永遠に失われてしまった。

76年『ペッパー警部』でデビューしたピンク・レディーは、ミニスカやホットパンツから太ももを大胆に露出するセクシー路線で注目されたが、斬新な楽曲とユニークな振付が受けて、国民的なアイドルに。

「ピンク・レディーが出てきた頃、私はまだ幼稚園児でしたが、当時、子どもたちは競って彼女たちの歌と踊りをマネしたものです。私自身、生まれて初めてエロスを感じたというか、彼女たちを見て"なんだ、これは?"と、異次元の衝撃を受けましたね。私がアイドルをウォッチングするようになった原点はピンク・レディーにあるんです」と明かすのはTV美女研究家の八木晶王氏。

幼なじみのミー(未唯)ケイ(増田恵子)のデュオは、瞬く間に時代の寵児になった。2曲目のシングル『S・O・S』から連続9曲がオリコン1位、10曲連続ミリオンは当時の新記録だった。

だが、さしものピンク・レディー人気も79年になると急降下。80年に解散を発表した2人は、81年4月に後楽園球場で解散コンサートを行ったが、「キャンディーズの解散時とは対照的にスタンドはガラガラ。マネージャーがステージ用の見せパンを持参するのを忘れたため、2人は自前の生パンティをはいたままステージで歌い、踊ったという逸話が残っています」(芸能記者)

80年代はアイドルの黄金時代といわれるが、主役は松田聖子や中森明菜に代表されるソロシンガー。女性アイドルグループにとっては冬の時代だった。

だが、85年『夕やけニャンニャン』から現役女子高校生アイドルグループ、おニャン子クラブが生まれるとシーンは一変する。

「それまで高嶺の花だったアイドルが、自分たちの手の届きそうなところまで下りてきたのが、おニャン子たちだったんですよ。『夕やけニャンニャン』放送当時、私は中学1~2年生。学校と家が遠かったので、毎日、友達の家に寄り道して見てました」と前出の八木氏が言う。

「集団が生み出すパワーのすごさ、メンバーの中から、お気に入りの子を見つけて応援する楽しさはおニャン子ならではのもの。人気があったのは河合その子、国生さゆり、新田恵利、工藤静香、渡辺満里奈などですが、私が好きだったのはショートヘアが似合う福永恵規。知名度は高くないけど、ベストテンに入ってくるくらいの人気はあった子です」(前同)

おニャン子クラブの成功で、テレビ局が女性アイドルグループを養成する動きが活発化。その代表が『乙女塾』から生まれた3人組のribbonであり、4人組のCoCoだ。

永作博美の童顔はribbon時代と変わってないし、CoCo時代から定評があった三浦理恵子の美脚も健在です」(芸能記者)

『桜っ子クラブ』から生まれたさくら組には菅野美穂、中谷美紀、井上晴美、持田真樹らが在籍していた。

「さくら組時代の菅野は幼くて、まるでチャイドル。反対に中谷は年齢のわりに大人っぽい雰囲気があった。デカパイの井上が乳を揺らしながら歌い踊る姿は、アイドルを超越したエロさがありました」(前同)

80年代後半には、鈴木早智子相田翔子のデュオ、Winkが登場。人形のように表情を変えず、ロボットのように動く2人のパフォーマンスは、それまでのアイドルにはない斬新さがあり、89年には『淋しい熱帯魚』でレコード大賞を受賞した。

さっちんこと鈴木早智子は09年、アダルトイメージビデオに出演。美乳を初公開したが、「喜んだのはファンじゃなかった人たち。Winkファンの本音は"哀しい"、そのひと言に尽きると思いますね」(八木氏)

90年、原宿『ルイード』で歌とダンスを披露。クチコミでファン層を広げていったのが、東京パフォーマンスドール(TPD)。

「テレビ局が仕掛けたアイドル作りとは対極のやり方で、のちのAKB48につながる手法といえます。当時から篠原涼子の存在感は抜きん出てましたね。また、実際の活動はほとんどしていないはずですが、仲間由紀恵もTPDの研修生でした」(八木氏)

90年代後半には沖縄アクターズスクール出身の女性アイドルグループが台頭。なかでもSPEEDは、デビュー曲『Body&Soul』がリリースされた96年当時、島袋寛子が小6(12歳)。最年長の新垣仁絵が中3(15歳)の若さだった。

「歌とダンスを徹底的に鍛えてからデビューさせる沖縄アクターズスクールのやり方はK-POPと同じ。まさにアイドル養成の"虎の穴"です」(八木氏)

97年にデビューしたモーニング娘。最大のヒット曲『LOVEマシーン』は99年9月の発売だが、この曲でセンターに躍り出たのが新加入の後藤真希だった。

「やはりゴマキはモー娘最大のスター。彼女の加入前はシングルの売り上げが25万枚止まりだったのに、『LOVEマシーン』は160万枚。楽曲に恵まれたとはいえ、ゴマキ効果は明らかです」(芸能記者)

姉妹グループのカントリー娘。出身の里田まいは、今やメジャーリーガー、田中将大の賢夫人だ。


あっちゃんは"性長"しすぎ!?

05年に活動を開始したAKB48は、翌年デビュー曲『桜の花びらたち』をリリース。多くの人気者を輩出してきたが"卒業生"の前田敦子大島優子が歴代のツートップであることに異論はあるまい。

「最初は何もできず、人前に出るのも苦手だったあっちゃんが成長していく姿はAKB48そのもの。卒業後の彼女は泥酔して佐藤健にお姫様抱っこされパンモロしたり、尾上松也との熱愛が発覚したり性長しすぎた感もありますけどね(笑)」(八木氏)

今やクールジャパンの象徴として、海外でも高い評価を得ている日本のアイドル文化。

「AKBと並ぶ人気のももいろクローバーZや、ヘビーメタルとアイドルを融合させた3人組BABYMETALがレディー・ガガの前座に起用されるなど、さらなる発展を見せています」(芸能記者)

日本のアイドルグループが振りまくフェロモンが、世界を制する日は近い!?

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