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高倉健「知られざる男気伝説」まだまだあった!

[週刊大衆12月15日号]

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国民栄誉賞の声もある名優の素顔とはいかなるものだったのか。証言で綴る"不器用"ながらも高潔な生き様――!!

悪性リンパ腫のため俳優の高倉健さん(享年83)が亡くなったのは、さる11月10日のこと。その死は8日間伏せられ、18日になって一斉に報じられた。
いまなお、健さんの死を惜しむ声が鳴りやまないのは、亡くなる瞬間まで、自分らしさを貫いた彼の生き様にあるようだ。
芸名の「倉」の字を健さんから頂戴したという俳優の石倉三郎さんが言う。
「あの日(18日)は芝居で博多にいて、楽屋に女房から電話がかかってきたんです。(事実を知り)一瞬、目の前が真っ白になりましたね。病気のことはまったく知りませんでしたけど、そこが健さんらしいところ。人を煩わせることが大嫌いでしたから。10年後の11月10日であろうが、20年後のその日であろうが、健さんは誰にも知らせず逝ったはず。実に健さんらしい最期でした……」

健さんといえば、多くの"伝説"を残したことで知られる俳優。しかし、私生活を切り売りして知名度を上げるタイプの俳優とは違い、生前、私生活についてほとんど語らなかった。
寡黙で不器用と言われた男の生き様は、どうだったのか。健さんと交遊のあった芸能界の重鎮らの回顧から、その素顔に迫ってみたい。

まず、誰しも口をそろえるのが、「大スターなのに偉ぶらない」ということ。
遺作となった映画『あなたへ』(12年=数字は公開年=以下同)の降旗康男監督は、「スターだけど、スター的な振る舞いをしないのが健さん」と語っている。『夜叉(やしゃ)』(85年)で初めて共演したビートたけしは、以来、健さんと30年来の友情を温め合う関係となった。たけしは、客員編集長を務める『東京スポーツ』紙上で、スターらしくない健さんの振る舞いに、ハートをワシづかみされた経験を振り返っている。

「(『夜叉』の)ロケ先の福井に向かったら、健さんが駅のホームで待っててくれたの。雪の中で花束を抱えてね。"たけしさんですか。高倉健です。私の映画に出てくださって、ありがとうございます"。電車から降りたらそう言われてさ」
主役でありながら、自ら出迎えるのが健さんの流儀。さすがのたけしも、
「ああ、今のは高倉健だ。どうしよう、参ったなと思った。何でもいうことを聞こうと思った」
と脱帽。また、こんなこともあったという。
健さんがたけしと一緒に映画を作ろうと思い、たけしの事務所に直接、「もしもし、高倉健です。たけしさんと連絡を取りたいんですが」と電話してきたことがあったという。
事務所スタッフは、まさか健さん本人から電話がかかってくるとは思わず、「何言ってんだ、この野郎!」とあしらったそうだ。それでも健さんは電話口で「高倉です」と言う。そこでスタッフ、今度は「松村(邦洋)だろ、モノマネばっかりしやがって」と言って切ってしまったという。

これも、たけしが明かした秘話だが、ドライブが好きな健さんがある夜、車で銀座を走っていたときのことだという。
「(大好きな)コーヒー飲むんでちょっと停車していたら、酔っ払いが後ろのドア開けて"渋谷へ行ってくれ"って。タクシーと勘違いしたんだ。健さんは何も言わず、そのまま渋谷まで送ったっていうんだ。着いたら、酔っ払いが"いくらだ?"って言って。健さんは"いや、私、高倉の車ですからいりません"。"えっ、タダなの! あんた、いいヤツだね"って帰ってったっていう。酔っ払いは高倉健を運転手代わりにしたなんて、いまだに信じてないだろうね」

一般のファンが目撃した話もある。
無類の車好きで知られる、健さんが一人でジープを運転し、ガソリンスタンドへ洗車に来た。
当然、スタンドの事務所は大騒ぎ。寒い日だったので気の毒に思ったスタッフが「手伝いましょうか?」と声を掛けると、健さんはスクリーンの中と同じ話し方で「いえ結構です。一人でやります」と言って、黙々と洗車をし始めたという。
これぞ、本物のスター。また、共演者らへの気配りも凄まじいものがある。

「暖をとらない」は本当の話

『幸福の黄色いハンカチ』(77年)で映画デビューを果たした武田鉄矢が会見で振り返るのは、ハンカチを見て桃井かおりと一緒に号泣するラストシーン。
「あの時は、監督がどうしても真っ青の青空で撮るんだと言って、5日間も待たされたんです」
武田はあまりに待たされたためイライラして、黄色いハンカチを見ても演技ができない状態に。
「健さんが急に振り返って"1か月間、ロケ辛かったろ。東京へ帰っても元気で暮らすんだぞ"って言ってくれてね。この人と別れるのかと思うと、映画と関係なく泣けてきてね」
焦る武田の心境を察して、健さんが機転を利かせたのだ。

俳優の八名信夫さんが本誌に語ったところによると、彼も健さんに助けられた一人。
「石井輝男監督の作品にご一緒させていただいたときのこと。僕が先輩(高倉健)に啖呵(たんか)を切って噛みつく喧嘩のシーンだったんだけど、セリフが長くって、何度もNGを出して焦っちゃったのよ。監督がイラついていたのがわかるし、ますます焦っちゃった。そしたら先輩が、"監督、僕のセリフですけど、こう変えたほうがいいんじゃないか"って。そしたら監督も、"そうだな、そうしよう"と。つまり、撮り直す必要性を作ってくれて、僕のNGを庇ってくれたんです。あのときは本当に涙が出そうでしたね」

せんだみつおも、こんな思い出を語っている。
「京都のホテルで知人の結婚式の司会をしていたとき、"せんださん、ご苦労様です"と声をかけられて振り向くと、健さんがコップ1杯の水をお盆に載せて立っていました。当時の並み居るスターたちも出席されていた式だったんですが、健さんの気配りに感謝感激。水を一気飲みしてお礼を言ったんですが、かえって緊張してしまって、ボロボロの司会になってしまいました(笑)」

お次は、歌手の弘田三枝子がブログで明かした話。「あるとき、高倉健さんとご一緒にスポンサーさんの接待がありました。行ったクラブで、歌を歌って欲しいと要望され、困ったことがあります」
プロの歌い手として、ステージ以外では歌わないというのが彼女のポリシー。すると健さん、「絶対に歌ってはいけませんよ、あなたはプロなんですから」と囁くや、「僕が歌いましょう」と助け舟を出してくれたという。
「先輩は、本当に自分に厳しく人に優しい方でした。そんなだから、共演している女優さんもみんなホレちゃってね。もう態度を見れば、ホレてるのが一発でわかったもの(笑)」(前出・八名さん)

再び、たけしの回顧談に戻ろう。『夜叉』の撮影時、出番のない健さんが豪雪の中、わざわざ差し入れを持ってきてくれたという。
「でも、健さんは絶対に座らないし、ドラム缶の火にも当たらないから、オレたちも座れないし、火に当たれない。それで、健さんが"何か、僕にできることはないですか?"って言ってくれるんで、"帰ってください。みんなが気を遣ってしょうがないから"って、言っちゃったよ」
たけしが27年ぶりの共演となった『あなたへ』の舞台挨拶で、その話を暴露すると、健さんが「全部、タケちゃんの作り話。迷惑しています」と言い、会場は爆笑の渦に。ただ、この話、正真正銘の本当だという。
八名さんも、同様の体験をしているからだ。

「屋外のロケでは、先輩には専用のテントが用意されていて、中にはストーブが焚いてあり、お茶にお菓子があった。それでも先輩は、他の役者が演技しているのに悪いからと、絶対にテントには入らず極寒の中で立って待機していたからね。先輩がそうやって立っているのに、後輩の僕が暖をとるわけにはいかないでしょう。もう、辛くてね(笑)」
人に好かれるために生きるな

実はユーモアのセンスも持ち合わせていたという健さん。たけしは、こんな秘話も明かしている。
「お笑い芸人が映画賞を取るようになったから、ラジオで"役者よりお笑いの方が芝居がうまいじゃねえか""何なら役者がお笑いやってみろ"って言ったことがある。そしたら、健さんが田中邦衛に"漫才やろうか"って言ったらしいよ。だけどネタ合わせやったら、お互い無口で"こりゃムリだ"と、すぐにやめたって(笑)」
さらに、たけしの回顧談は健さん伝説の"タブー"にも踏み込む。
「健さんと共演したとき、オレが"健さん、酒も飲まないし、女っ気がないし。女に興味がなくなったの?"って尋ねたら、"タケちゃん、オレはホモじゃないぞ!"って言ってさ。続けて、"これまで遊んだことは遊んだ。けどね、もう女なんてどうでもよくなっちゃって、面倒くさいんだ。話すんだったら、男とのほうがいいしな。女と変なことする気はさらさらない"って言うんだ」

そんな健さん、寡黙なイメージとは裏腹に、感情豊かな人でもあった。
遺作となった『あなたへ』で、富山刑務所の指導技官を演じた健さんが撮影後、同刑務所内の講堂に登壇した。
受刑者らに「自分は、日本の俳優では一番多く皆さんのようなユニフォームを着た俳優だと思います」などと笑わせたが、東日本大震災で大切な人を失った人たちの思いが同作品の原点だけに、「『あなたへ』は、人を思うことの大切さ、そして、思うことはせつなさにもつながると思います……」というくだりになると、声を詰まらせた。
あとで言葉に詰まった理由を聞かれ、「なぜだか涙が出てしまいました」とコメントを寄せている。

また、『あなたへ』の撮影中、大滝秀治さん(故人)の「久しぶりに、きれいな海ば見た」というセリフに、目を潤ませ、収録後、涙を拭うこともあったという。
「先輩に教えられて、特に心に残っているのは2つ。ひとつは、"相手が誰であっても『さん』をつけて呼べ"というもの。呼びつけはもってのほかで、業界人みたいに"○○ちゃん"とか言うのも先輩は嫌ったね。誰に対しても謙虚であれ――ってことです。
もうひとつは、"人に好かれようとして生きるな"ってこと。誰しも人に好かれたいけど、それを目的に生きていくのは違うと。自分の信念を曲げてまで、人に好かれようとすることは、媚びにつながるからダメだって教えてくれたんです」(八名さん)

健さんが残していったのは、現代の日本人が失いつつある思いやりや優しさ、そして男気――だったのではないだろうか。
偉大な名優のご冥福を、心より祈りたい。

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