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【パンチ佐藤】イチロー選手から仰木監督まで…裏話炸裂!

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パンチ佐藤の「野球が一番!」
第11回 イチローから仰木監督まで…裏話炸裂! 超野球好き芸人・ヴェートーベンとベースボール対談最終回


球春スペシャル対談も今回が最終回。特別ゲストのお笑い芸人・ヴェートーベンとの炸裂トークも、いよいよ佳境に突入。特別版の最後に相応しく、パンチの盟友・イチロー、オリックスで出会った3監督の知られざる素顔など、あますことなく大公開した――。

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左から久保隆、パンチ佐藤、青井貴治


青井貴治(以下、青井)「パンチさんがプロ入り時の監督は、上田(利治)監督でした。その後、土井(正三)監督、仰木(彬)監督と3人の指揮官と出会いましたが、3人の中で印象深い監督は誰ですか?」

パンチ佐藤(以下・パンチ)「入団時の監督だった上田さんかな。その時、僕が一番活躍していたし、上田監督はいいプレーが出ると“●▲×◎!!”って言うわけ。“何だこれ? 誰か騒いだ?”と最初は思っていた。ところが、何度かその声を聞いているうちに、その声の主が上田監督だと分かったの。どうやら、監督は機嫌がいいと“ダイナマイト!”って言うんだよ。それからだね、僕が“ダイナマイト!”と口にするようになったのは……。その理由はね、自分自身を奮い立たせる、そして調子が悪い時には、気分を落ち着かせる。で、何度か使っていくうちに実感したのが、この言葉のパワー。嬉しさが10倍になる力を秘めているんだ」

●上田監督の名言「ダイナマイト!」のパワー!!

青井「嬉しい時も腹が立った時にも使えるんですか?」

パンチ「そう。ぜひ、使ってみて。いい風が吹いてくるよ」

青井、久保隆(以下・久保)「ダイナマイト!」

パンチ「上田監督から引き継いだ土井監督の3年間がいま、僕の講演会のネタになっている。いろいろな人から“土井監督とはソリが合わなかったでしょう”と言われるけれど、土井監督には感謝していますよ」

久保「なるほどですね。土井監督の裏話があったら……」

パンチ「面白いエピソードがあるよ。実はオリックス、上田監督の後任に長嶋茂雄(巨人終身名誉)監督を招へいしようとしたの。まあ、現実的ではないけどね。ただ、ミスターは性格が最高にいい。お断りをする際に気を利かせて、“う~ん、神戸はボクじゃないでしょう。神戸と言ったら土井。土井しかいないでしょう”と言ったらしい。“そこまでミスターが推すのならば”というわけで、土井さんに白羽の矢が立ったみたい」

久保「それは面白過ぎますね」

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パンチ「土井さんは良くも悪くも監督の勉強をしていなかった。その点、(土井監督から引き継いだ)仰木(彬)監督は全選手のデータを頭に入れてきた。本来、監督は担当コーチから選手のデータを集める。ところが、仰木さんはそれを一切、実践しなかった。何と、新聞記者と毎晩飲んで記者から選手のデータを聞き出し、彼らと一緒に戦略を考えていたんだ」

青井「へぇ~。それは凄い。仰木監督の“仰木マジック”は、そういう“視点の違い”から生まれたものなんですね。ところで、仰木さんがパンチという名前にしたと聞いていますが……」

パンチ「そう。仰木監督と新井(宏昌)打撃コーチで“イチローがすごいぞ”と言う話をしていた時に、新井さんが“鈴木ではなくイチローにしたらどうか”と仰木さんに提案したらしい。すると、仰木監督は“イチローだけだと反感があるかもしれないから、佐藤もパンチに変えて2人セットで……”と話したのが“パンチ佐藤”誕生の原点」

●「イチロー」と「パンチ」の改名はセットだった

青井「イチロー選手は、入団当初からすごかったですか?」

パンチ「いや……。高卒で当時は18歳。初めて会ったときは、細くて手足が長くて。トラックを走る姿がキレイなのね。それと、印象として残っているのは練習の虫だったということ。でも、その時はせいぜい“頑張れ、未来の大物”という程度だった。でも、イチローは毎日、試合後であっても夜中まで練習をする。天才があれだけ努力するから、どんどん成長していったね」

青井「イチロー選手が現れた時、走攻守が揃っている新しい選手像が生まれました。パンチさんがおっしゃったように線の細いしなやかな選手でしたね。当時のプロ野球選手でそういうタイプの選手はいませんでしたよね」

パンチ「18歳とは思えず、しっかりしていたね。お父さんの教育だろうね。時計やバッグ、スーツといった派手な物は持ってなかったよね。ただ、バットには相当なこだわりがあった。自分で工場へ出向き、バットを作りに行くんだよ。弱冠18歳なのに、老成しているというか、プロ意識が高いというか……とにかく、道具と食べることにかけてはお金を費やしていたよね」

青井「パンチさんはご自身が引退される際、イチローさんに“ユニフォームくれよ”と言われたそうですが……」

パンチ「その話はね、イチローの方から“(パンチさんの)ユニフォームを頂けませんか”と言ってきたのが真相。“じゃあ、お前(イチロー)のユニフォームもくれよ」といって交換したわけなんだ」
青井「イチロー選手は途中で背番号を変えましたが、そういえば、パンチさんも背番号を45番から90番に変えましたよね」

パンチ「結果を残していないのに結婚もした。“いっぱい活躍できるように”という思いを込めて2倍にしたの。上田監督時代に3割3分3厘を打ったけど、監督が替わり、2、3、4年目は出場機会に恵まれなくて……。“違う監督の元でやって、それでダメなら辞める”と決意した矢先に仰木監督が就任。“それなら”と思い、番号の変更を考えたんだ」

青井「ところで、“グリーンスタジアムに集まった12万8641人の皆さん”という、パンチさんの有名なヒーローインタビューがありますよね」

●「12万8641人の皆さん」そして「下痢するまで飲みます!」

パンチ「お客さんがガラガラだったから“大勢のお客さん、来てね”という意味があった。これは勿論、冗談で言ったんだよ。実はこの日の試合、某銀行から懸賞が出ていた。活躍した選手が50万円の商品券を貰えるというね。試合が始まったら、ブーマーは4打席4安打でオリックスのワンサイドゲームだった。と、思いきや、その日の(対戦相手)ダイエーホークス(現・福岡ソフトバンクホークス)は50万円の商品券がチラついたのか諦めない。6点差を追いついた。で、終盤、オリックスがラストチャンスとなり、よもやの“代打・パンチ”。打ちましたよ、走者一掃の2ベース。乱打戦に終止符を打つ殊勲賞。“ヤッター!”と思ったや否や、“ピンチランナー”……。“え~”と思いながら、ベンチへ」

久保「あははは。千載一遇のチャンスでの殊勲打が……。それで、どうなりましたか?」

パンチ「大丈夫、ゲットしましたよ、50万円の商品券。その時のヒーローインタビューが“12万……”。その続きがあって、“今日は下痢するまで三宮で飲むぞ~!”があるんです。これはその日、観戦してくれた彼女(奥様)が眼前の金網越しにいて、彼女に対して言ったわけ。これが真相。ただ、当たり前のセリフを吐くのに、僕は違和感を抱くんです。“プロなら、もっと気の利いた発言をしなくては”と感じているんだ。お客さんに分かりやすく、自分の感情を伝えた方がいい」
青井「さすが、パンチさんです。そう言ってくれると、観ている我々も想像ができますね」

パンチ「そう。“嬉しいです”ではなく“下痢するまで飲みます!”」

青井「すっごい飲んじゃうんだろうな、気持ちがいいんだろうな~、と思います。パンチさんからじゃないですか? ヒーローインタビューで笑いをとる選手が出てきたのは」

パンチ「特段、笑いを取る必要はないと思うけれど、それがファンサービスに繋がるとは思うよね。“いつも使っている86cmのバットではなく、85.5cm(のバット)にしてみたんですよ、そうしたら打球が伸びて……”とかいったら、ファンは嬉しいでしょ」

青井「そういう話が聞きたいですね。想像するのが楽しい。ライブハウスでお客さんが少ないとき、“○○小劇場、12万8641人のお客さん……”と言って、パンチさんのヒーローインタビューを実は使わせて頂いております」

パンチ「(実際にはない)“二階席の皆さ~ん!”。これも使ってください。僕も講演会で言いますよ」

久保「喜んで使わせて頂きます」

パンチ「やっぱり、“野球が一番!”だよね」

パンチ佐藤(ぱんち・さとう)プロフィール

1964年12月3日生まれ
亜細亜大学から熊谷組を経て、オリックスにドラフト1位で入団。プロ野球時代、トレードマークのパンチパーマと独特な発言で人気者に。引退後はタレントとしても活躍し、2015年シーズンからBCリーグ『武蔵ヒートベアーズ』の宣伝本部長に就任した。

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