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歴史に埋もれた日本の「戦後タブー」

[週刊大衆05月25日号]

敗戦の記憶が人々の頭から薄れる中、初めて明らかになった事実をもとに、わが国の"裏歴史"を紐解く――。

歴史は勝者によって書かれる――。かの有名な歴史小説家・陳舜臣が残した言葉だが、まさに日本の戦後史は戦勝国・アメリカの手によって作られたといっても過言ではない。
そこで、終戦から70年という節目を迎えた今、日本人が知らぬ間に歴史に埋もれてしまった"戦後のタブー"を明らかにしていこう。

まずは、第2次世界大戦後、連合国軍が日本占領中に設置した統治機関GHQが、決して表に出さなかった暗部をえぐる。
近代史研究家の関野通夫氏は、こう解説する。
「第2次世界大戦に敗戦した1945年から日本に主権が戻るまでの7年間、GHQは"日本は侵略戦争を行った"という意識を巧妙に日本国民に植えつけました。それも直接ではなく、メディアや政府関係者を通じ、間接的に行ったんです」

いわば、自虐史観を植え付けるための"洗脳工作"がGHQによって行われてきたと言うのだ。
関野氏は、その証拠となるGHQの内部文書『WGIP(ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム=戦争犯罪宣伝計画)』の現物を昨年発見し、『日本人を狂わせた洗脳工作』(自由社刊)で公表した。

この指令書は、冒頭で〈日本が決して米国に報復戦争をすることのないように、戦争の贖罪意識を植え付け、民族の誇りと自尊心を奪い取る〉と明記しており、さまざまな手段で、日本人へ戦争の罪悪感を刷り込んできた。

その最たる例が、NHKが放送したラジオ番組『眞相はかうだ』だという。
元軍人と民主主義者の親友が対談する形の同番組は、満州事変から敗戦までの日本の軍国主義者の犯罪や国民への裏切り行為を暴露する内容だった。ラジオはNHKしかない時代、毎週日曜日の20時、今でいうゴールデンタイムに続編を含め2年もの間放送されたこの番組は、当時の国民から大きな反響があった。

「ただ、脚本を書いていたのはGHQ。戦勝国側の都合の悪い部分には一切触れておらず、一方的な言い分を垂れ流すものでした。戦争は1か国では起こりません。2か国の利害が対立して、初めて勃発するもので、一方だけが悪いということは絶対にないはずです」(前出の関野氏)

その"洗脳工作"の中で、GHQが最重要と位置付けていたのが、広島、長崎への原爆の投下に関する日本国民の感情だったという。
「当時、原爆投下が残虐行為だとする声は、日本のみならず、米国内にもありました。ただ現在では、原爆投下がアメリカの残虐行為とする意見はほとんど聞かれなくなり、日本側に原因があったとの声が大多数です」(全国紙社会部記者)

そこにも、GHQの"暗躍"があったことは言うまでもない。『WGIP』の中には、〈広島-長崎の"残虐行為"の話は"戦争犯罪"計画の見出しの下に来るように適切に考えるべきである〉と記されている。
「つまり、まともに反論することは逆効果だと悟ったGHQは、原爆投下を報道する際は、それに"日本の戦争犯罪"と大きく銘打った記事も併記するように新聞社を操作していたんです。また、その記事内ではアメリカという言葉をなるべく使わないよう指導していたんです」(関野氏)

以後、「進駐軍=いい人」の風潮が日本社会に蔓延していったのは歴史の事実。
ちなみに、いまだ米国内の学校教科書には「原爆投下は間違いではなかった」と記され、原爆投下で亡くなった人の数も半分程度の数字に改ざんされて掲載されているという――。

米国による"洗脳工作"は、GHQ撤退後も密かに続けられてきた。
それが第2のタブーである、米国による『対日心理作戦D27』だ。
「この作戦は、日本が米国陣営にとどまり、ソ連側につかないように、また、日本に米軍基地があることを問題視しないようにするため、メディアを操作するというもの」(近代史に詳しいジャーナリスト)

その手足となって動いていたのが、"プロ野球の父""テレビの父""原発の父"と呼ばれ、メディア帝国・読売グループの創設者である正力松太郎氏なのだ。
「正力氏は、アメリカの諜報機関CIAから、"ポダム""ポジャクポット"と2つのコードネームを与えられており、日本テレビの創立資金もCIAが出どころだったようです」(同)

その正力氏は、日本テレビで米国製ホームドラマ、英会話番組を流すことで、心理作戦に貢献していった。そして、米国側にとって、正力氏の"最大の功労"とされているのが、原子力発電所の日本導入だ。
「1950年代は、第五福竜丸事件が起こり、日本国内で反米・反原子力の気運が大きく高まっていた時代でした。日本への原発売り込みを国策としていた米国はCIAを通じ、正力が持つすべてのメディアで"原子力平和利用推進キャンペーン"を張り、55年には、日比谷公園で、正力と『原子力平和利用博覧会』を共催しています」(同)

その効果がいかほどのものだったかは、現在、日本各地に乱立する原発を見ればわかるだろう。
米国頼みの"歪(いびつ)な防衛"の原点

このように、米国の意のままに操られてきた日本。
そもそも日本国民の行動を規定する日本国憲法自体が、ご存じのように米国によって作られている。タブーの第3弾は、"不磨(ふま)の大典"とされる日本国憲法の"欺瞞"だ。
「同憲法は、GHQ民生局の職員21人がマッカーサー最高司令官の意を受け、わずか6日間で作成。"占領憲法""マッカーサー憲法"とも呼ばれています」(軍事評論家の神浦元彰氏)

そのような短期間で急ごしらえされたもののため、日本国憲法が、合衆国憲法やリンカーン米大統領演説など、歴史文書のつぎはぎであることは明白だと言われている。
同憲法制定時、米国のマスコミも、「これは日本の憲法ではない……日本に対する米国の憲法である」(クリスチャン・サイエンス・モニター紙= 46年3月8日付)と喝破。

ちなみに、近代戦時国際法(ハーグ陸戦法第43条)では、勝者が敗者の主権を無視して恒久的な法を作ってはいけないと規定されている。
「したがってGHQの占領統治を終え、日本が主権回復した52年4月28日をもって、同憲法の無効破棄と新憲法制定を行うのが"正式手続き"でした」(神浦氏)

この"マッカーサー憲法"に、当時、大正デモクラシーにおける代表的理論家・美濃部達吉枢密院顧問は「前文に憲法が国民の意思で制定されたのごとき虚偽を掲げることは、国家として恥ずべきことである」と、一人絶対反対を貫いた。

また、枢密院本会議で憲法を議決した清水澄議長が、GHQの圧力に抗しえなかった屈辱感、無念さから翌年、自決している。
「ところが、米国の強力なキャンペーンの結果、いつしか憲法改正はおろか憲法を論じることさえタブーとなっていったんです。現在、護憲派が"(マッカーサー)憲法があったから平和が保たれてきた"と金科玉条のごとく言うのは明らかに嘘。この憲法があったからソ連軍が侵略してこなかったのではなく、米軍が駐留していたからに過ぎません」(外交筋)

しかし、すべてが米国の思いどおりに進んだわけではなかった。
それが、第4のタブー・吉田茂元首相による米国の再軍備要請の拒否。
「吉田元首相は、経済中心主義、軽武装、日米安保という3本柱の"吉田ドクトリン"を推し進め、戦後日本成長の礎を築いた第一人者です」(自民党長老)

だが、それにより「日本が独立国家として再出発する好機を逃した」と断罪するのは、防衛省関係者だ。
「対日講和条約によって独立主権を回復した日本は、その時点で軍事的・外交的に真の自立した国として歩むべきでした。ところが、吉田元首相は"敗戦後のわが国は、強大なる軍事費負担に耐ええない"として防衛を米軍に依存。徹底した対米追従路線に終始したんです」(同)

吉田元首相は、朝鮮戦争(50年6月~53年7月)勃発時、GHQから求められた警察予備隊の整備指令に反していた。
「この時、米国は国務長官顧問のダレスを日本に派遣。再軍備を要求し、32万5000人の軍隊創設を提示。ですが、吉田元首相は戦争を放棄した(マッカーサー)憲法を盾に再軍備を拒否。警察予備隊から保安隊、自衛隊へと徐々に拡大していく道を選びました」(同)

その結果、戦後70年経った今に至るも、国防を米国に依存する歪な国家から抜け出せないでいるという。
「しかし、政界引退直前、欧米を外遊した吉田元首相は、それまでの政治信条とは真逆の"軍備の必要性"を痛感。吉田学校の池田勇人や佐藤栄作両元首相に再軍備の必要性を説いています」(政治記者)
竹島が日本領土の確たる証拠

吉田元首相に再軍備を迫るきっかけとなった朝鮮戦争だが、それが実は竹島問題にも密接に関係していた。
それが最後のタブー・竹島問題に隠された嘘である。

「どちらの国が先に島を発見したとか、どちらが先に住み着いたなどは、紛争過程にある世界中の国々が、それぞれに"正論"を持ち、片方だけに軍配は上げられません。ですが、この竹島については確固たる証拠が存在。そこで竹島は日本領であると明確に定められています」(外務省関係者)

それが、ラスク書簡だ。
これは、第2次世界大戦後、対日講和条約を起草中だった米政府に、韓国が「竹島、波浪島を韓国領とする」との要望書を提出。これに米政府が最終回答とした文書が、米国立公文書記録管理局にある。

同文書で
「竹島は朝鮮の一部として取り扱われたことが決してなく、1905年頃から島根県隠岐庁の管轄下にあり、この島はかつて朝鮮によって領有権の主張がなされたとは見なせない」
と、米側が韓国政府の要求を一蹴しているのだ。

「この回答に業を煮やした韓国政府は、突然、"李承晩(りしょうばん)ライン"を宣言し、竹島を自国の領土と強引に主張。以後、竹島海域での漁業は韓国漁船以外行えず、違反した日本漁船は韓国側によって臨検、拿捕、接収、銃撃を受け、実際に日本の漁船員が殺害される事件まで起きています」(同)

国際問題評論家の小関哲哉氏が言う。
「当時、米国はアジア各国のパワーバランスを考慮。領有権については、お茶を濁すことが多かった。そこに、韓国の初代大統領・李承晩が付け込み、勝手に竹島を自国領土とした。結局、韓国は戦勝国として、なんらかの"戦果"が欲しかっただけで、"無人島の一つくらい取っても問題にならないはず"と思って領有権を主張したんです」

その李承晩失脚直後の1960年には、当時、駐日米国大使だったマッカーサーが、米国務省に機密電文3470号を送り「竹島を日本に返還させること」を、強く進言している。ただし、いまだ無法者たちは聞く耳を持たない……。

戦後、日本を舞台にしたこれら隠されたタブーの数々……。さて、あなたは近現代史の闇を、どう読み解きますか?

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