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たけし、ヤザワに学ぶ“超大物ヤンキー”の成り上がり哲学!

[有名人101人のタブーなヤンキー&女ツッパリ マル秘伝説]

たけし、ヤザワに学ぶ“超大物ヤンキー”の成り上がり哲学!

「日本人の半数はヤンキーが好き」
ヤンキーイズムはいまも日本を制覇しているのだ。
70~80年代の「伝説のワル」たちの武勇伝やおもしろエピソード、また現在の姿などもふくめて徹底取材し一挙出ししたムック「有名人101人のタブーなヤンキー 女ツッパリ マル秘伝説」(双葉社)が、先日発売となった。 今回はその中に掲載されている特集記事「ヤンキーの成り上がり哲学」をお届けする。


「オマエの一生、ヤザワの2秒」から永ちゃんの美学を学ぶ

「マイルドヤンキー」という言葉が各メディアで話題である。マイルドヤンキーの定義は「上京志向がなく、地元で強固な人間関係と生活基盤を構築し、地元から出たがらない若者たち」。従来の「ヤンキー」とちがって攻撃性や反社会性がなく、休日にはミニバンで「仲間」や「家族」とショッピングモールに行く20~30代の若者、ということになるだろうか。

たしかに、学校でも「ツッパリ」は減り、特攻服姿の暴走族を見る機会も、繁華街でオヤジ狩りの恐怖を感じることもなくなって久しい。だが同窓会などで地元に帰った時、旧友からこんなことを耳にすることはないだろうか?
「番長だったアイツが、社長になってめちゃくちゃ稼いでるらしいよ?」

そう、かつてのヤンキーが今や建設業や自動車販売などで成功し、ベンツやレクサスなどの高級車を転がしている光景が、どこの地方でも見られる。地元でハバをきかせているのは、今もやはり「マイルドヤンキー」ではなく、昔ながらの「ドヤンキー」。
かつてコラムニストの故・ナンシー関が「日本人の半数は潜在的にヤンキーが好き」と看破したように、今もってヤンキーイズムは日本を支配しているのだ!

成り上がりのヤンキーイズムの元祖と言えば、やはりこの名前を挙げねばなるまい。国民的ロックスター、矢沢永吉。かつて全国の暴走族から熱狂的な支持をうけ、還暦をすぎた今なおロックしつづける男は、同時に「秒速で稼ぐ男」の元祖でもある。

「お前の一生、ヤザワの2秒」
2014年、このセリフがネットを中心に話題となった。いかにも永ちゃんらしいキレ味バツグンの言葉だが、正確には
「お前がどんだけ良い大学入って、どんだけ良い会社に就職して、家庭も何もかも犠牲にして寝る間を惜しんで働いたところで……お前が一生かかって稼ぐカネ、矢沢の2秒」
ということ。

ビッグマウス、ここに極まれり。ヤザワにしか吐けないセリフである。
だが永ちゃんはただゴーマンなワケではない。このセリフにはバックストーリーがある。

70年代、事務所やレコード会社の重役に
「我々の言うことに従ってればいいんだ!」
と言われて永ちゃんが返した言葉が、
「オマエの一生、ヤザワの2秒」
だったのだ。

「僕みたいなアーティスト、日本で初めてでしょ? どちらかというとマスコミやレコード会社と向こう張っちゃうんだもん。当然「生意気だ!」って事になるわネ。でも「この野郎! 俺がお前よりビッグになったら、俺が今度お前を潰してやるぞ」って、ハッキリ言うけどね。いま、ここまで来たから皆が認めるのよ。「勝てば官軍」って、よく言ったもんだよ」

30歳の永ちゃんを追ったドキュメンタリー映画『RUN&RUN』でのセリフである。有言実行、押しも押されもせぬスーパースターとなってビッグマウスを現実にしてみせ、その成り上がりストーリーは全国の不良少年の憧れとなった。

だが98年、試練が再び永ちゃんを襲う。経理の責任者をしていたスタッフに裏切られ、なんと35億円にのぼる借金を背負うハメになったのだ。だが広島の極貧環境から成り上がったヤザワは、絶体絶命のピンチでこそ、その本領を発揮する。

「正直言ってあの事件が起きた時、ボクはもうダメだと思ったよ。「あー、オレの人生終わった」と思いましたよ。被害者なのに有名人だから、面白おかしくマスコミは書くし、人の不幸は蜜の味……コイツらにいい思いさせたくない。35億、大変だけど矢沢永吉が本気になったら返せない金じゃない。「よし! 行ったらんかい!?と。「こうなったら仇取ってやる!」と。要は人参よ。どうしていいか分からなければ自分で目的を作っちゃえばいいのよ、人参を。そしてそこに向かって走る。ガタガタ考えてもダメなときはダメなんだからさ」
奮い立ったヤザワは50歳をすぎて、年間100本をこえるライブを敢行、35億円の負債をわずか6年で完済してみせた。

永ちゃんには――今や音楽業界の常識だが――版権を自ら管理し、コンサートではタオルなどのグッズで利益を得る「矢沢ビジネス」といわれる、自身で築き上げたノウハウがある。だが巨額の負債を短期間で完済した根本には、「気合い」というよりもはや「気迫」と呼ぶにふさわしい、この負けん気と根性がある。ふたたび不死鳥伝説を作ってみせた彼が、今やヤンキーという枠を越え、ヤンキー性のない一般層からのリスペクトを受けるのも納得である。
「お前らのことは一生面倒見るからな……」

永ちゃんと同じく不良少年出身ながら、今や日本のみならず国際的なリスペクトを得るタレントがいる。

ビートたけし、いや北野武といったほうがいいか。
父親は飲んだくれのペンキ職人、東京・足立区で生まれ育ったたけしの家庭環境が貧しかったことはよく知られている。ガキ大将だったたけし少年は、貧しいながらも教育熱心な母親にうながされ明治大学に合格するも、雰囲気になじめずドロップアウト。アルバイトを転々としながら何者にもなれずチンピラのような日々を送っていた。

そんな不遇の20代でたけしが出会ったのが、芸人という道。浅草のフランス座で頭角を現すと、世の中の権威すべてを早口でこき下ろすアナーキーな攻撃的漫才で一躍時の人となった。だが人気絶頂の86年、その牙が写真週刊誌に向けられた。

「ブチ殺すぞ、コノヤロウっ!!」
愛人の女子大生への突撃も辞さない執拗な取材にキレたたけしは、軍団を引きつれて講談社の「フライデー」編集部を襲撃。怪我を負わせて現行犯逮捕、有罪判決を受け、以後半年間におよぶ謹慎を余儀なくされる。だが釈放後の記者会見で「今後、愛人のA子さんとはどうなさるんですか?」という記者の質問に対し、ギラリとした目で答えた。
「もっと仲良くしようと思います」

もはや殺気さえ宿るギャグである。だがたけしはその反面、ともに現行犯逮捕された軍団に、「お前らのことは一生面倒見るからな……?とつぶやき、弟子たちを涙させている。ブチ切れて襲撃にむかう最中でも、ガチの武闘派で知られるつまみ枝豆には、「アイツには連絡するな!」と気づかうなど気遣いを見せている。「生粋の親分肌?とはこういうことを言うのだろう。

94年、ふたたびバイク事故で生死の境をさまよって窮地に陥るも、映画監督として復活、ヴェネツィア国際映画祭金獅子賞など国際的な名声を得ているたけしには、「映画作りに集中すべき」という声もある。それでもたけしがバラエティ番組やCMに出続けるのは、フライデー事件時の軍団との約束があるからだと言われている。かつては軍団に対し「鉄拳制裁も辞さなかった」というたけしだが、長年「理想の上司」ランキングで上位に挙げられるのは、こうしたケタ違いの「男気」や人間的な「包容力」を視聴者が無意識に感じているからだろう。
思い込みをまず捨ててみませんか?

たけしが「面倒見のいい番長タイプ」の代表格だとするなら、トップに立つヤンキーにはもうひとつの人種がある。いわゆる2番手、腕っぷしはないがとにかくアタマの切れる参謀タイプ。京都のツッパリからヤンキー漫才でデビューし、抜群のトークセンスで日本一の司会者になった島田紳助を思い浮かべてもらえればわかりやすいかもしれない。そして紳助の推薦を受け、政界ヘと進出したこの男もやはり、「地アタマのいいヤンキー」の代表格である。

「毎日、毎日、僕はみんなになにかしら因縁をつけられていました。僕が選んだのは、強いものについていく方法でした。そのときの僕は、彼らにとってたしかにパシリだったと思います。力関係を利用するなんて卑怯なやりかただ、なんて思い込みをまず捨ててみませんか 。力関係を拒否したり、目をそむけたりしないで、そのヒエラルキーのなかに組み込まれる」
先日、政界引退を表明した大阪市長・橋下徹の著書「どうして君は友だちがいないのか?」のなかでの言葉である。

「小中学校ともに荒れた学校だった」という東淀川時代のエピソードは、現在の橋下を語る上で欠かせない。 転校初日からいきなり同級生に殴られ、「一番ワルそうな部に入ったほうが安全だと思ったから」とラグビー部に入った橋下は、ただのパシリでは終わらなかった。他のヤンキーにはないアタマの回転があった橋下は、言葉では自分をうまく表現できないヤンキーたちの「代弁者」として次第に存在感を増していく。彼らの怒りや悩みを聞き、時には学校側との交渉の先頭に立つ。のちに弁護士・政治家となる才能はこの時点で開花していたのだ。
塾に通わず大学進学し、弁護士となった後は「茶髪の弁護士」としてタレント活動、そして政界へ。

その後の活躍は知っての通りである。するどい舌鋒で利権でかたまった大阪行政やワイドショーの論客を斬って斬って斬りまくり、不満のたまった庶民の溜飲をさげる。だが「慰安婦問題」などでの発言は同時に国際的な批判もまねき、先日の引退をかけた「大阪都構想」の住民投票では、過半数を取ることはできなかった。

「こんな僕が7年半も政治家をつとまったのは松井知事がいたおかげ。僕は人望がないから」
先日の引退会見で自嘲ぎみに言ったこのセリフは、半分はホンネでもあるだろう。橋下には「男気」タイプのビートたけしがそなえているような、人の血の通った包容力が足りていない。橋下劇場は、諸刃の剣のような鋭すぎる舌鋒によってつまづき、大阪都構想の頓挫でひとまず幕を下ろした。

だが「引退会見」でマスコミを前に晴れ晴れした笑顔を振りまいてまるで「勇退会見」のように見せ、現職中にもかかわらず待望論を呼びよせてみせた。まだまだ天才ヤンキーの機転と地アタマは錆び付いていないと言うべきだろう。
「すべての責任はこの田中角栄が背負う。以上」

では、誰もが恐れる番長タイプであり、同時にアタマも切れ、人間的な包容力も兼ねそなえた不良がいた場合にはどうなるのだろう? しかも、そんな男が政界に進出したら?

「コンピューター付きブルドーザー」の異名を持った田中角栄。彼こそが戦後史上最強のヤンキーと言うことができるかもしれない。
「私が田中角栄だ。小学校高等科卒業である。諸君は日本中の秀才代表であり、財政金融の専門家ぞろいだ。私は素人だが、トゲの多い門松をたくさんくぐってきて、いささか仕事のコツを知っている。できることはやる。できないことはやらない。すべての責任はこの田中角栄が背負う。以上」

角栄44歳、大蔵大臣に就任したさい、並みいる官僚を前にしての挨拶である。
新潟の極貧家庭に生まれた角栄は、ガキ大将だった小学校を卒業すると社会へ飛び出し、19才で自身の建設会社を設立。それだけならよくいるヤンキー社長で終わっていたかもしれない。が、角栄はさらなる権力を求め、違法すれすれの強引な方法で資金を集め国会議員に当選。出世の階段をのぼっていった。吉田茂は角栄を
「あの男は刑務所の塀の上を歩いているようなものだ。ひとつ間違えば内側へ落ちてしまうぞ」
と評したが、角栄は人の上に立つ者に必要なすべての要素を兼ねそなえていたといっていい。

「歩く六法全書」と呼ばれ、「家が恵まれていれば、余裕で東大に受かっていた」と言われる記憶力、地アタマの良さ。官僚を使いこなすため、彼らの経歴をすべて頭の中に入れ、冠婚葬祭などの気づかいは絶対におこたらない「人たらし」術。「借りた金は忘れるな。貸した金は忘れろ」という気前の良さ、年上の政治家からさえ「オヤジ」と呼ばれた包容力。
そしてあの押し出しの強すぎる顔面から繰り出される、ユーモアあふれる演説の上手さ。街頭演説で大衆にかこまれ、「ヨッシャ、ヨッシャ」と気さくに笑う角栄を国民も「今太閤」と呼んで愛した。

角栄クラスになれば、ヤンキーというよりもはや戦国時代の豪傑に近いかもしれないが、生前側近にはよくこう語っていたという。
「どんな相手でも、サシの勝負に持ちこめば絶対に負けない」
最後はやはりタイマン勝負、ということか。
密室での角栄は「ヤクザも怯えるほどド迫力だった」と言われる。不世出の宰相は窮地では常にこの手法で問題を解決し、自身がブチあげた「日本列島改造論」を実行してみせた。

政治の舞台でも芸能界でも一般社会でも、そしてどんな時代でも。
タテマエではなく本音と気合いで勝負するヤンキーイズムとは、大事を為すには不可欠の要素なのかもしれない。



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