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蝶野が語る新日本「02年は一番会社が動いてなかった、いまの状況を考えると隔世の感がある」

[シリーズ 逆説のプロレス vol.2]

ボートレース戸田
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GⅢ 戸田マスターズリーグ第10戦・週刊大衆杯

蝶野が語る新日本「02年は一番会社が動いてなかった、いまの状況を考えると隔世の感がある」

記念すべきG1第1回大会優勝者にして、いまだに破られることのないV5の偉業……G1クライマックスと言えばこの男抜きに語ることはできない。先日発売となった、重要人物たちの証言によって“新日本プロレス G1 クライマックス”の本質に迫ったムック「逆説のプロレス vol.2」から、夏男・蝶野正洋と永島勝司の対談をお届けする。


インタビュー前半はこちら https://taishu.jp/17004.php

■蝶野正洋 ちょうの・まさひろ
●1963年、東京都三鷹市出身。84年、新日本プロレス入門。同年10月、越谷市民体育館における武藤敬司戦でデビュー。87年に海外遠征し、帰国後は闘魂三銃士として活躍。G1クライマックスは第1回をはじめとして前人未到のV5を達成している。nWoジャパンを設立して一大ムーブメントを起こし、その後TEAM2000を結成。92年にNWA世界ヘビー級王座、98年にIWGPヘビー級王座を奪取。2010年からフリー。

■永島勝司 ながしま・かつじ
●1943年、島根県出身。88年新日本プロレス入社。渉外・企画宣伝部長を経て取締役に。現場監督の長州力とともに団体を牽引。第1回からG1クライマックスをプロデュース。2002年2月に新日本を退社。


迷走する新日本。02年1月には、武藤が社員数人を引き連れ全日本プロレスに新天地を求め、5月には長州が退団、永島氏もそれに帯同し、翌年、新団体WJを旗揚げ。蝶野は猪木の鶴の一声で、現場監督となった。

蝶野 00年あたりから、ソフト事業部だったW氏の発言でマッチメイクを合議制にしたんだけど、あれはそれまで力を持ってた長州さんを追い出すためだったというか……。W氏は中の人間をコントロールして、みんなで全日本に移籍しようという流れだったね。俺は俺で、武藤さんらの離脱直後(02年2月1日)、札幌(道立総合体育センター)のリングに猪木さんを呼び出した。

――「このリングの上に神がいる」と呼び込んではじまった"猪木問答"ですね。

蝶野 あらかじめ「呼び出しますから」って伝えておいたんだよ。総合格闘技の流れで新日本が揺れてたのもたしかだったし、猪木さんから「プロレスをやる」という言葉を引き出したかった。ところが、いざとなったら猪木さんが若手をリングに呼んで、中西に「オメエは怒ってるか!?」ってやり出した。鈴木健三(現・KENSO)は「明るい未来が見えません!」なんて妙なこと言ってるし。「あっ、これは猪木さん時間稼ぎしてるな」と思ったんだけど、最後には突然「おまえはこれからただのレスラーじゃねぇぞ」と現場監督に指名されて、内心「エーッ!?」って感じでしたよ。

永島 俺は前の年( 01年)かな、猪木から「外に出て勉強してこいよ」と言われて、そこから実質的には会社に行かなくなって。猪木からは「猪木事務所、くればいいじゃねえか」って言われたけど、あれこそ悪の巣窟だからね。蝶野のことは外から見ながら「大変だなぁ、もうどうしようもないけど、まとめられるのも蝶野だけだなぁ」って思ってはいたね。

蝶野 02年の2月から3月は、もう、社内のみんながクーデターを考えてたような状況。後楽園ホール大会とか終わって新日本の事務所に行くと、23~24時でも電気がついてる。みんながなんらかの整理をしてる。たぶん悪事の隠蔽工作をしてたんでしょう。一番会社が動いてなかった時期。いまの新日本から考えると、隔世の感があるね。
新日本は05年11月にユークスに身売りし、混迷状態にひとつの終止符を打った。同年7月には、橋本真也が40歳の若さで永眠。彼もまた、新日本という荒波に翻弄された一人だった。

蝶野 橋本選手とは、亡くなる1カ月くらい前に会ってます。前の年の11月にZERO─ONEを追い出されたわけだけど、その相談も受けてた。「大谷(晋二郎)と(中村)祥之は絶対に許せない。アイツらの命を取るまで、俺はリングに戻れない」っていうようなことを言ってたから、「橋本、やめろ。会社を取った、取らないじゃなく、リング上の橋本真也を重視したほうがいい」と。祥之に関しては、ZERO─ONEの最初の頃から「祥之には愛情があるのか? 人に頼りすぎるのはよくないぞ」って話をしてたの。だけど、橋本選手はやっぱりアイツがいないとなにもできないってことだった。で、05年の5月14日に東京ドーム大会があったから、俺の算段としては三銃士をリングに集めて、俺が引退を発表してもいいんじゃないかと思ってた。

――引退ですか。

蝶野 武藤さんはこの時、ロン・ウォーターマンとやったんだけど、橋本選手からはその日、連絡があって「会場近くまできたけど、取り立てのトラブルがまだ残ってて、今日リングに上がれねぇわ」と。で、翌月に会ったんですよ。そうしたら顔が真っ青で「心不全がひどくて、7月末ぐらいにカテーテルの手術をする」「ハッスルも祥之たちと取り合いになってるけど、8月末に改めて旗揚げしてやる。復帰までの映像も撮り溜めて、映画にできるといいな」とか、話しててね。「蝶野、協力してくれよ」ってことで、俺は 「わかったわかった」って言って別れた。だから7月に訃報が入った時は、あの時の顔色の悪さを、まず思い出してね……。

永島 ……。俺が最後に会ったのは、WJと対抗戦をやった時(03年12月14日、両国国技館)だったな。体調は悪かったけど、その時はまだ肩が悪いだけだった。憎めない、いいヤツだったよ。今日は蝶野に会えて嬉しかった。俺の退団から13年ぶりだもんな。今日のやりとりでもわかるように、バランス感覚もリーダーの素養もしっかり持っているのが蝶野。俺は、第2の蝶野がこの業界に出てくることを期待したいね。


※全文の一部分を抜粋。全編は本誌「逆説のプロレス vol.2」にてお楽しみください。

取材◎若瀬佐俊

徹底追跡、大特集。新日本プロレスのG1クライマックスの25年間の全事件に迫った「シリーズ 逆説のプロレス vol.2」絶賛発売中!

「新シリーズ 逆説のプロレス vol.2」(双葉社スーパームック)より引用

蝶野が語る新日本「02年は一番会社が動いてなかった、いまの状況を考えると隔世の感がある」

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