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若貴対決、ヒジ打ち事件…大相撲の「ウラ側」衝撃エピソード

[週刊大衆11月23日号]

若貴対決、ヒジ打ち事件…大相撲の「ウラ側」衝撃エピソード

千代の富士VS 大乃国の“横綱”対決から、若貴兄弟バトル、そして白鵬ヒジ打ち事件まで伝説の激闘の舞台裏を覗く!
大関・照ノ富士(伊勢ヶ濱部屋)が横綱昇進を狙う大相撲九州場所(福岡国際センター)が、11月8日に始まり、場内は早くも熱気に包まれている。
優勝争いも混沌。横綱・鶴竜(井筒部屋)の連覇か、横綱・白鵬(宮城野部屋)の復活か。そこに照ノ富士がどう絡むか。はたまた、日本人力士らが常勝のモンゴル勢に“風穴”を開けるのか――。
血沸き肉躍る熱戦が期待されるが、名勝負や大一番と呼ばれる取組のウラ側には、知られざるドラマがある。土俵の上では遺恨や憎悪が煮えたぎり、一方でスポーツマンらしい気遣いや感動話も隠れているのだ。とはいえ、相撲中継を見ているだけでは、よく分からないのが実情。そこで九州場所の対決をより楽しむためにも、“あの大一番”のウラ側に隠された衝撃エピソードに迫ってみよう。
まずは今場所、貴乃花親方(元横綱)を抜いて、歴代4位の横綱在位50場所となった白鵬の一戦から。これまでも一部で取り口が「横綱らしからぬ」と批判されたのは記憶に新しいが、平成24年秋場所、恐怖の“ヒジ打ち事件”を起こしている。
この場所は、大関・日馬富士(伊勢ヶ濱部屋)が連続優勝し、横綱昇進。新関脇の妙義龍(境川部屋)が技能賞を獲得している。
ヒジ打ち事件が起きたのは、その妙義龍が横綱・白鵬に挑んだ一戦だった。立ち合いで張り手を浴び、そのあと妙義龍が顔を左に向けた瞬間、白鵬の右上腕がアゴに直撃。妙義龍はヒジ打ちを食らった形で、その場に倒れ込んだ。その後、立ち上がった妙義龍だが、フラつき、支度部屋に戻ると風呂にも入らず、後頭部を氷で冷やし、「何も覚えてないッス」という言葉を残して病院へ向かったという。
「妙義龍は、支度部屋でタバコをプカプカ吸うし、白鵬自身、あの生意気な態度を改めさせてやろうと思ったんだね。それが“ヒジ打ち事件”につながったんだよ」(宮城野部屋関係者)
さらに、この話には後日談がある。後の両者の対戦を見ていると、白鵬が土俵上に転がった妙義龍の背中を、そっと優しく叩く仕草を見せているのだ。
「相撲ファンもそのウラを知らないと、仕草の意味がわからないはす。白鵬に懲らしめられ、妙義龍の態度が改まったんだろう。だから、白鵬は“よし、よし”という意味で背中を叩いたんだと思うよ」(前同)
続く一番は、時代をさかのぼり、昭和59年秋場所。
横綱・千代の富士(九重部屋)が、“黒船襲来”と騒がれていた頃の小錦(高砂部屋)と初顔合わせした取組だ。小錦は後に大関まで昇進するが、このときは入幕2場所目だった。取組は、千代の富士が体勢低く飛び込んだものの、出てくるところを小錦に受け止められ、逆にドーンとノドを突き放される。
「当たって一瞬のうちに持って行かれた印象がありました。千代の富士の完敗です。その後、場所前になると、千代の富士は必ず高砂部屋に出稽古へ。小錦と胸を合わせるんですよ。横綱が毎場所、出稽古に通うというのは異例中の異例。それだけ、千代の富士はこの一番で小錦を警戒するようになったんですね。以来、千代の富士は本場所で小錦に勝ち続け、“黒船襲来”に対して“神風”といわれました」(全国紙のベテラン相撲記者)
だが、そんな千代の富士にも“過信”があった。53連勝で迎えた昭和63年九州場所の千秋楽。相手は横綱の大乃国(放駒部屋)だった。それまでの対戦成績は千代の富士の19勝7敗。誰もが千代の富士の勝利を信じて疑わなかった。なにしろ、大乃国の師匠である放駒親方(元大関・魁傑)でさえ、「勝てなくてもいいから、見せ場は作れ」と大乃国に声をかけたといわれているのだ。だが、その親方のひと言に発奮したのか、大乃国は無敵の千代の富士を寄り倒し。後に千代の富士はマスコミのインタビューで、
「がっくりきた。自信を持って土俵に上がったが、やはり過信するとダメ。勉強になった」
と答えている。こんな“横綱対決のいい話”の次は、再びプロレス顔負けの一番へ。平成2年の名古屋場所での、十両の貴闘力(後に関脇=藤島部屋)と大翔山(後に平幕=立浪部屋)との取組はある意味、伝説の一番となった。なにせ、土俵上で両者が繰り出した張り手の数は計36回。相撲というより、もはや殴り合い。途中からは両者とも足を止め、勝負そっちのけで張り手の応酬に。結果として貴闘力が勝ったものの、両者とも唇から血を流す惨事となった。
「大翔山は当初、藤島部屋(現貴乃花部屋)へ入る予定だったんだよ。ところが、急転直下、立浪部屋へ入門。それに藤島所属の貴闘力が腹を立てたというんだね。土俵で最初に張り手を見舞ったのは、もちろん貴闘力だった」(フリーの相撲記者)
この取組では、貴闘力が「けしからん!」とばかりに張り手を見舞い、それが伝説の一番となったわけだが、平成4年秋場所で、小結の旭道山(大島部屋)が強烈な張り手一発で関脇・武蔵丸(後に横綱=武蔵川部屋)を倒した背景には、こんな事情があった。
「後援会関係者から頼まれたというんだよ。“武蔵丸っていうのがいるだろ。あのふてぶてしい態度が気に食わん。次に対戦したら、やっつけてくれ”ってね。後援会の言うことは聞かなくちゃならない。旭道山も“ごっつぁんです。分かりました!”ってわけだよ。それが、あの強烈な張り手になって表れたんだね」(旧大島部屋関係者)
これまた、ウソのようなホントの話だという。
武蔵丸は力が出せなかった!?
ところで、相撲史上に残る“世紀の大一番”というと、やはり、大関・若乃花(後に横綱=二子山部屋)と横綱・貴乃花(同)の兄弟対決だろう。平成7年九州場所・千秋楽の優勝決定戦。右四つの立ち合いから、貴乃花は上手を取れないまま、土俵際まで追い詰められ、あっけなく崩れ落ちた。
「まさに、あっけなく崩れ落ちたとしか言いようがない。土俵際でも貴乃花は足が前に出なかったんでしょう。兄(若乃花)が横綱を目指しているのが分かっているから、兄弟の情が絡み、動きたくても動けなかったんでしょうね」(相撲協会関係者)
兄弟愛を、まざまざと感じさせる逸話である。
では、少し目を転じてほしい。ロス五輪・男子柔道無差別戦の決勝で、山下泰裕の負傷した足を攻めずに敗れたラシュワンを覚えている方はいるだろうか。その後、ラシュワンはスポーツマンとしての“フェアプレー精神”を称えられたが、大相撲でも同じようなことがあったという。
平成13年の夏場所。14日目の取組中に横綱・貴乃花は、右ひざの関節を亜脱臼し、千秋楽の出場さえ危ぶまれた。だが、貴乃花は強行出場。横綱へ昇進していた武蔵丸との本割での対戦では予想通り、相手にならず、武蔵丸が完勝した。
ところが、優勝決定戦では、逆境を跳ね返して貴乃花が22回目の優勝。その際の“鬼の形相”は、今なお語り継がれる日本中を感動させた大一番だが、
「決定戦で土俵に上がった貴乃花が塩を取りに行ったとき、ケガをしている右ひざを回してみたら、うまくはまったというんですよ」(スポーツ紙の相撲記者)
だが、勝利の要因は、それだけではなかった。
「決定戦での武蔵丸の動きは、どこかぎこちなかった。あとで武蔵丸も“力が出せなかった”と意味深な発言をしています。武蔵丸には負傷した相手に勝っても……という気持ちがあったんでしょう」(前出のベテラン相撲記者)
その後、貴乃花は右ひざの半月板損傷で1年4か月にわたって休場。平成14年秋場所に横綱審議委員会(横審)の勧告もあり、調整が不十分ながら、強行出場することになった。その11日目に、貴乃花が対戦したのが、新大関の朝青龍(後に横綱=高砂部屋)だった。
朝青龍は、前年の夏場所で何もできずに貴乃花に押し出されただけに、汚名返上に燃え、その日まで1敗を守り続けていた。しかも相手の貴乃花は休場明けで調整不足の状態である。闘志全開の朝青龍は強烈なノド輪から激しい突っ張りで貴乃花を追いつめ、そのまま寄り切りかと思えた瞬間、両手でまわしをつかまれ、貴乃花の上手投げで大逆転負けを食らう。これまた貴乃花の不屈ぶりを物語る伝説の一番となった。悔しいのは、敗れた朝青龍。一礼もせずに土俵を下り、花道で「チキショー!」を連発。知られざる衝撃エピソードが起きたのは、まさに舞台ウラ、支度部屋に戻ってからだった。
記者の質問に「優しい相撲をしちまった。あんな上手投げで負けるとは。ケガした右ヒザを狙えばよかった」と言い放ったという。満身創痍の貴乃花に、あの朝青龍が本当にその発言通り、優しい相撲をしたかどうかは謎である。
把瑠都を恐れてノド輪攻撃!
さて、ケガといえば、大関の魁皇(友綱部屋)。彼自身、ケガに泣いたわけではなく、自慢の怪力から繰り出す小手投げで、これまで何人もの力士にケガを負わせているのだ。そこで、しこ名をもじり、ついたあだ名が、“破壊王(は・かいおう)”。
平成15年秋場所5日目、その魁皇が前頭筆頭の高見盛(後に小結=東関部屋)と対戦。魁皇が強引に小手投げに行こうとすると、高見盛がすっと腕を抜き、魁皇を押し出した。初日から4連勝と好調だったわりに
「ひどい負けっぷり。どうして、あそこで強引な小手投げにいったのか謎だったんだ」(前出のフリーの相撲記者)
という。その謎解きのヒントになるのが、魁皇が支度部屋でつぶやいたというひと言。「オレたちがやってきたことを否定するヤツ(高見盛)は許せない」魁皇が、そう話していたというのだ。
「その頃、高見盛は幕内に上がってきたばかり。彼は稽古場で力を出せないタイプらしく、それが、実力をカモフラージュしていると先輩力士らに勘違いされたんだね。ふだん温厚な魁皇も怒り、得意の小手投げで腕をへし折ってやろうと思ったとしか考えられないね」(前出のフリーの記者)
その後、誤解は解け、魁皇と高見盛の間には遺恨は残っていないという。
では最後に、平成18年秋場所で、入幕3場所目の把瑠都(ばると)(後に大関=三保ヶ関部屋)に対し、横綱・朝青龍が強烈なノド輪を決めて、そのまま押し出した一戦のエピソードを。
「朝青龍の全盛期の話だからね。なぜ横綱が新鋭相手に、あんな大人げない相撲を取ったのか、不思議に思った相撲ファンも多かったんじゃないかな。実は場所前の横審総見の三番稽古(2人だけで何番も行う稽古のこと)で、何番取っても、朝青龍は把瑠都に勝てなかったんだよ。それで朝青龍は組ませず、把瑠都を葬り去ろうとしたんだろうね」(前同)
大一番のウラには意外な真実あり。この九州場所も、そんな目で観戦すると、また違った風景が見えてくるかもしれない。

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