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秀吉は湯治、家康は粗食…戦国武将に学ぶ「無敵の健康術」

[週刊大衆12月07日号]

秀吉は湯治、家康は粗食…戦国武将に学ぶ「無敵の健康術」

群雄が割拠し、絶え間なく戦乱が繰り広げられた時代。“天下”を狙う男たちは皆、頑強な体の維持に努めた!!

 1467年の応仁の乱以降、徳川家康が江戸幕府(1603年)を開くまで、130年以上も続いた戦国の世。下剋上を合言葉に、血で血を洗う合戦に明け暮れた戦国武将にとって、最大の武器は“長命であること”だった――。

「鉄砲全盛の時代以前、機動力と攻撃力に優れた最強部隊は騎馬隊でした。風林火山の旗印の下、最強騎馬軍団を率いた武田信玄は、天下取りに向けて上洛の途上、陣中で病没します。享年53。死因は肺結核だったと推測されますが、彼は天下を指呼の間に収めながら、病魔に屈してしまったわけです」(戦国武将に詳しいライターの小川新太郎氏)

 敵に勝つ前に、まず病魔に勝つのが大前提。一説に、男女の平均寿命は40歳前後ともいわれる戦国乱世。信玄の53という享年は決して短命とは言えないが、我々が知る戦国武将は、戦死者を除くと70歳を超えて活躍した人物も多く、総じて長生きである。「戦国武将の目的は、領土を拡大し、丈夫な子どもを作ることでした。そのためには頑強な体が必要。そのため、周囲に“健康アドバイザー的な存在”を置き、さまざまな健康法を試行錯誤していたのでしょう」(産業医の下村洋一氏)

 実は、史料に残された戦国武将たちの養生訓の中には、現代に通用するものが数多く見受けられる。そこで今回は、明日から実践できる乱世を生き抜いた男たちの“無敵の健康術”を一挙紹介してみたい。

 まずは“戦国覇王”こと織田信長(47=享年、以下同)から。「信長は家臣だった明智光秀の裏切りに遭い、戦死しています。そのため短命に終わりましたが、深刻な持病の記録はなく、健康体だったと思われます。本能寺で果てなければ、長生きしたのでは」(小川氏)そんな信長のモットーは、<食べたいときに食べたいだけ食べる>だ。「これは胃腸に負担をかけない最善の方法。食事の時間が来たから、なんとなく食べる……という食べ方ではなく、本来は、空腹感を感じたら食べるべきなんです」(漢方医の平地治美氏)

<運動を怠らない>ことも信長の生活習慣。彼は“うつけ”と呼ばれた幼少の頃より、腰にひょうたんの水筒をぶら下げて、川で水泳、野原で相撲に興じていたという。この習慣は成人してからも変わらず、水泳や乗馬で汗を流していたようだ。運動習慣が健康に良いことは言うまでもない。ただ、その反動か、信長は京風の薄味よりも、味付けの濃い料理を好んだという。「運動をする人は減塩したら脱水して危険なので、これも“体の声”に従った結果」(平地氏)「薄味は塩分が少ないわけですから、血圧が低い状態。こうなると思考もままらないため、濃い味を好んだのは合理的」(下村氏)

 その人に合った食習慣があるのだ。続いて、信長の遺志を継ぎ、天下統一を果たした太閤豊臣秀吉(62)。「秀吉は、若い頃に織田家家中で懸命に雑巾掛けをして頭角を現した人物。それこそ、晩年になるまで健康に留意できなかったはずです。天下人となってからも、蕩尽を好んだといわれていますので、決して健康的な生活をしていたようには思えません」(小川氏)

 しかし、子宝に恵まれず“世継ぎ”に悩んだ秀吉は改心。晩年は<温泉湯治>を好み、<お灸>を日課としたとか。「温泉はリハビリとして有効なもの。最大の特徴は血行を促進することで、怪我の回復を促すことです。日本には昔から湯治場があったため、武士たちは、その効果を実感していたはずです」(下村氏)

 もうひとつ、秀吉が腐心したのが<番医(主治医)を抱える>ことだ。「秀吉には、当時、天下の名医として知られた竹田定加(じょうか)、吉田浄慶(じょうけい)ら、10名近くの主治医がいたことが分かっています」(小川氏)具合が悪くなると、彼らの診立てを順々に聞いて回り、最良の治療法を採用していたという。いわゆる<セカンドオピニオン>を実践していたわけだ。

「秀吉のようにお抱え医師を持つことはできませんが、近くの内科医を贔屓にして、主治医代わりにすることはとても重要です。病気のたびに総合病院に行くよりも、信頼できる町医者を一人決めて受診することをお勧めしますね。そこで納得がいかないときや、紹介状を書かれたときのみ、別の病院を受診してみるべきです」(医療ジャーナリスト)

 織田がつき、羽柴(豊臣)がこねし天下餅、座りしままに食うは徳川――の歌にあるように、戦国時代を終わらせ、真の勝者となったのは徳川家康だ。彼は75歳という長寿で大往生しているが、超のつく“健康オタク”で知られている。

 まず、家康の食生活だが、<麦飯を主食とし粗食を好んだ>ことで有名。「麦飯にはビタミンB1やカルシウムも含まれ健康的です。白米よりも歯ごたえがあるため、よく噛まなければならず、顎をよく使います。これは、脳の働きを活性化させるため、ボケ防止に効果的です」(前同)家康は<豆味噌も大好物>だったという。「豆味噌は家康の郷里である三河(愛知)の名産。アルギニンといって疲労回復、精力増進に効果のある成分を多く含有します」(同)

 生涯で16人の子をもうけたのも納得か。「家康は粗食を貫く一方で、時折、キジや鶴の肉を食べていました。高齢になると、動物性タンパク質を摂るのがおっくうになる方がいますが、これは大間違い。現代ならば、週に一度は、とんかつを食べるなどの習慣をつけてください」(同)

 家康が、<冬でも裸足で過ごした>のも有名。「織田家、今川家の人質として幼少時代を過ごした家康は質素、倹約の精神が染みついていたようで、足袋を履かず、家中の浪費を戒めていたと考えられます」(小川氏)ただ、“裸足”は健康には効果絶大だった。「人体において、足の裏はツボが集中する重要な部位。ここを鍛えることは、万病の予防に直結します。統計上、裸足で過ごすことが多い国には、足の疾患も少ないことが分かっています」(平地氏)明日から、自宅では靴下を脱いで過ごしてみてはいかがか。

「家康は信長同様、運動も大好きでした。ドラマや映画では、でっぷりとした“タヌキ親父”として描かれることが多いですが、これはデタラメ。彼は武芸に秀でた豪傑ですよ。家康が率いた三河武士は、決して自陣のほうを向いて死なないことで恐れられました。これは、最後の一瞬まで突進を止めない勇猛の証でしょう」(小川氏)

 各種史料によれば、実際の家康は水泳や武芸を好み、晩年は暇さえあれば鷹狩りに出かけていたという。「鷹狩りは現代で言うならゴルフのようなもの。“健康寿命”を延ばすには最適の方法だったはずです」(前出のジャーナリスト)

 耐えに耐え、忍びに忍んだ家康が、信長、秀吉の成し遂げられなかった新幕府の開設をやってのけたのは、頑強な体があったからだ。彼の平素からの口癖は、「長命こそ必勝の源」だったという。

 家康をはるかにしのぐ長寿を実現したのが、家康の晩年の参謀として活躍した“怪僧”南光坊天海である。108歳まで生きた。「天海の前半生は、よく分かっていません。桓武平氏の流れを汲む蘆名氏の系譜、将軍足利義澄の御落胤など、諸説あります。でも、最もミステリアスなのは、彼の正体が明智光秀というものです。家康が祀られた日光東照宮近くの高台を“明智平”と名づけたのは天海とされています。これは、天海が後世に綴った“暗号”だったのではないでしょうか」(小川氏)

 天海の正体が山崎の合戦で討たれたはずの光秀だとすると、その本当の没年齢は116歳になるというから驚きだが、その長寿の秘密は食にあったという。「天海も主君の家康同様、粗食を愛しました。特に好物だった<納豆を毎日食した>ようです。納豆は医者要らずともいわれ、コレステロール値を下げるサポニンや脳の機能低下を防ぐレシチンが豊富です」(前出のジャーナリスト)

 天海は家康の体調がすぐれないときに、納豆汁を勧めたという。“医食同源”は戦国の昔からの真理なのだ。続いて、中国地方の覇者である毛利元就(74)の養生訓を紹介しよう。“三本の矢”の教えで有名な元就のモットーは、<酒は飲んでも深酒はしない>だ。「彼は“酒を断て”と教えていたわけではありません。過度な飲酒を厳に戒めていたんです。自身はもちろん、家臣にもそれを徹底させていたというから筋金入りですよ」(小川氏)酒は百薬の長ともいい、「少量をたしなむ程度なら、血行や気の巡りがよくなる」(平地氏)。ただ、深酒は、「腎機能を低下させる」(前同)ので要注意だ。

 東北地方に覇を唱えた独眼竜こと伊達政宗(68)は、<朝晩の行水>を欠かさなかったという。「“灌水(かんすい)”といって、水をかぶる治療法があり、現代でも、一部の医師などがアレルギー疾患や精神疾患の治療の一環として行っています」(平地氏)

 薩摩(鹿児島)の英雄、島津義弘(84)の健康法も興味深い。これは認知症の予防に効果があると期待されるものだが、その方法が独創的なのだ。「義弘は、その武勇から“鬼島津”と畏怖されました。関ヶ原では西軍で参戦し、負けが決まるや東軍主力の陣地を堂々横断して突破、無事本国に戻った猛者です。そんな義弘も、晩年は物忘れがひどくなり、認知症に悩まされたといいます。そこで、<治療に用いられたのが“ホラ貝”>なんです」(小川氏)

 家臣は重要な判断を当主である義弘に仰ぐ際、恍惚とした彼を前にホラ貝を吹いたという。ホラ貝は戦場で鳴り響くもの。その音が鳴り響くや義弘は正気に戻り、的確な指示を出してみせたというから凄い。「認知症の治療法のひとつである“回想法”に、音を組み合わせた効果的な治療法と言えます」(平地氏)

 では最後に、戦国の世に暗躍した忍者の健康術を。忍者の間では<黒いものは体に良い>という教えがあり、携帯食には<黒ゴマにハチミツを練り込んだもの>が用いられていた。「黒いものは、漢方の世界では“腎”を強くするといわれています。腎は生命力を司るため、極めて重要なんです」(前同)ぜひ、お試しあれ。

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