日刊大衆TOP 芸能

スカウト、ブルペン捕手…第二の人生で裏方に回った「スタープロ野球選手たち」の生き様

[ヴィーナス12月04日号]

スカウト、ブルペン捕手…第二の人生で裏方に回った「スタープロ野球選手たち」の生き様

 山本昌、小笠原道大、西口文也、斎藤隆……。15年シーズン限りで数々の名選手たちがユニフォームを脱いだ。プロ野球史に名を残すような輝かしい実績を持つ彼らは、コーチや評論家に転身し、ゆくゆくは球団の監督になる。いわば“引退後の道”が約束されているのだ。だが、そんなケースはごくわずか。多くの選手はひっそりと引退し、野球とは関係のない“第二の人生”を歩んでいる。今回は、そのどちらとも違う、野球を捨てきれずに、密やかにチームを陰で支える裏方に回った選手たちを追った。

 裏方に回ったスター選手と聞いてファンの間で真っ先に浮かぶのは、入来祐作(43)ではないだろうか。1996年、逆指名制度によってドラフト1位で巨人に入団。沈み込むフォームから浮き上がるストレートを武器に、1年目から1軍に定着する。「01年には13勝を挙げましたが、とにかく入来はケガに泣かされました。あの“ライジング・ストレート”は、見る者を釘付けにするほどの威力だったんですけどね」(スポーツ紙記者)

 故障を繰り返し、満足なシーズンを過ごせなかった彼は、トレードで日本ハムに移籍。05年にチームトップの防御率を残すと、同年のオフにメジャー挑戦を表明する。「ただ、アメリカでも右腕の肉離れを起こし、結局2年持たずに契約を解除され、横浜に出戻ります。しかし結局、また肉離れが再発し、08年に現役を引退しました」(前同) その後、入来は打撃投手兼務のチームサポーターとして横浜に採用される。ところが、まさかの“打撃投手失格”の烙印を押されてしまう。「打撃投手は力を抜いて、ストライクゾーンに投げなければいけません。入来のように思いっ切り腕を振って投げる投手が、緩めて投げようとするとコントロールがつかなくなるといいます」(プロ野球関係者)

 入来は、そのプレッシャーからイップスになってしまい、打撃投手としての道は閉ざされる。それでも、野球から離れられない。翌年から、2軍の用具係を担当することになるのだ。

「かつての巨人のエースが、2軍選手の球拾いやボールを拭いたりバットを揃えたりするんですから、そりゃ抵抗があったと思いますよ。それでも“これしかない”と踏ん切りをつけて、裏方に徹したんです。選手にはいかに気持ちよくプレーしてもらうか、それだけを考えていたといいます」(横浜担当記者) 缶コーヒーのCMにも出演し、用具係としての仕事ぶりが認められた入来は、今年からソフトバンクの3軍投手コーチに就任。就任会見時には涙を拭い、念願の現場復帰を果たしている。

 入来と同じように、打撃投手として汗を流しているのが、元阪神の久保田智之(34)だ。02年に阪神に入団すると、「超人ハルク」と称されたその強靭な体から繰り出される150キロ台のストレートを武器に、05年からは藤川球児、ジェフ・ウィリアムスとともに「JFK」を形成し、守護神となった。「07年に90試合に登板して、NPBの最多登板記録を更新するなど、鉄腕ぶりを発揮しました。本当にタフで、いくらブルペンで投げても使い減りしなかったんです」(阪神担当記者)

 ところが目に見えない疲れがあったのか、このシーズンがキャリアハイとなり、以降は成績が悪化。右ひじを故障した影響もあり、14年に引退し、打撃投手として阪神に残った。「荒れ球が持ち味でしたから、今はかなり苦労していますよ。ワンバウンドするボールもよく見ますね。現役時はトルネード投法でしたが、フォームを変えて制球難の改善に取り組んでいます」(前同) やはり、ひと口に打撃投手といっても簡単ではないようだ。それでも、選手たちからは「球に勢いがあって、練習になる」と、声が上がっているという。“唯一無二の打撃投手”として、チームを支えていくはずだ。

 もう一人、15年シーズンから巨人の打撃投手を務めているのが、ヤクルトなどで活躍した藤井秀悟(38)。99年にドラフト2位でヤクルトに入団すると、2年目には最多勝を獲得し、最優秀投手にも選ばれる。記録も素晴らしいが、記憶にも残る投手だった。「01年、巨人との試合で事件が起きました。大量リードで勝っていた9回、打席に入った藤井はショートゴロで全力疾走。すると、暗黙のルールを破ったと、巨人ベンチから強烈な野次を飛ばされ、藤井はマウンド上で泣いてしまったんです。制球を乱し、降板してしまいました」(前出のスポーツ紙記者)

 それ以降も、サッカーの日韓W杯の日本対ベルギー戦を観戦した後に風邪を引いて登板回避をしたり、中日のタイロン・ウッズから右フックを食らったりと、話題に事欠かなかった。「その後は、日本ハム、巨人、DeNAと渡り歩き、今季から巨人の打撃投手となりました。制球力がある左腕なので、重宝されていますよ」(前同) ちなみに藤井の現役時代の最高年俸は8900万円(推定)。打撃投手の年収となると、500~800万円程度と、現役時代の10分の1だが、やはり野球からは離れられないようだ。

 15年シーズン、14年ぶりにセ・リーグを制したヤクルト。1軍マネージャーとして人知れず貢献していたのが、04年の新人王・川島亮(34)。「川島もケガに泣いた一人です。右肩痛がなければ、もっと活躍できた逸材でした」(スポーツ紙デスク) そんな川島が務める1軍マネージャーとは、どういう仕事内容なのか。「遠征先のホテルや新幹線のチケットを手配するのはもちろん、部屋割りや席順を決めたりもします。選手によって角部屋がいいとか、窓側がいいとか様々な要望があるので、それを全部考えないといけないから、気苦労が多い仕事だと言えますね」(プロ野球関係者) 川島の存在も優勝の原動力となっていたのだ。

 ここまで投手を見てきたが、野手はどうだろうか。「野手だったら断トツで捕手が食いっぱぐれがないですよ。最悪でも、ブルペン捕手として採用されることもありますから」(前出のスポーツ紙記者) チームに必ずいるブルペン捕手。過去にロッテの杉山俊介のように、ブルペン捕手から現役復帰を果たした例もある。それだけ捕手は人材が不足し、特殊なポジションなのだ。グラウンドにおける監督的な役割でもあることから、引退後は野村克也、森祇晶など数多くの名監督も生まれている。

 オリックスの正捕手として活躍していた日高剛(38)も、その観察眼の鋭さから、引退した昨年、阪神のスカウトに就任した。「捕手は打者を隅から隅まで観察しますから、スカウトになっても、その経験は生きるでしょう。日高は、引退してすぐにパソコン教室に通ったんです。今やスカウトもノートパソコンが必須。データをまとめて、スカウト同士で共有しなければいけないですから」(前同) 正捕手不在に悩んでいる阪神だけに、今後は、日高の眼力が重要になっていきそうだ。

 現役時代のキャラクターを買われて、球団職員になった選手もいる。元西武の平尾博嗣(39)だ。93年に阪神に入団し、01年途中に西武に移籍すると一気に知名度が上がる。茶髪、日焼けサロンに通ってこんがり焼けた黒い肌という出で立ちから、“チャラ男”の愛称で親しまれた。「08年の巨人との日本シリーズでは、第7戦に日本一を決める決勝タイムリーを放つなど、ここ一番での勝負強さが光りました。引退後は、西武の球団職員の地域事業担当となり、幼稚園や保育園の訪問や、商店街と連携してイベントを開催したりしていますね」(西武担当記者) 地元のテレビ局やラジオ局でレギュラー番組を持つ平尾。持ち前の明るさと、芸能人顔負けのトーク力で球団の魅力をアピールしている。

 広島の投手だった苫米地鉄人(34)は、変わった経歴の持ち主だ。珍しい苗字と、女優の松島菜々子と親戚ということで記憶している読者もいるだろうが、相次ぐ故障により06年に引退。すると、彼は専門学校に通い、鍼灸師の国家取得を取得する。それは、故障で苦しんだ自身の経験を生かして、トレーナーとして球界に復帰するためだった。「その夢が叶い、11年に広島に復帰しました。若手選手のトレーニングメニューを決めたり、黒田博樹のケアをしたりと、チームにとっては欠かせない存在となっています。それだけでなく、選手たちにとって良き相談相手でもあるんです」(広島担当記者)——裏方になっても野球を愛する気持ちは変わらない。彼らの存在がプロ野球全体を支えているのだ。

スカウト、ブルペン捕手…第二の人生で裏方に回った「スタープロ野球選手たち」の生き様

この記事が気に入ったら
をしよう

いいね!

@taishujpさんをフォロー

大衆のオススメ


オススメタグ


人気記事ベスト10


日刊大衆公式チャンネル


Copyright(C) 日刊大衆 Futabasha Publishers Ltd. All rights Reserved.