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歌丸師匠の体調は深刻? 『笑点』の「極秘タブー」全部出し

[週刊大衆2016年01月04・11日号]

歌丸師匠の体調は深刻? 『笑点』の「極秘タブー」全部出し

 てえへんだ! 日曜夕方のテレビに出てる歌丸さんの体の具合が悪いんだってよ。こりゃひと騒動ありそうだ。——2016年5月に放送開始50周年を迎える『笑点』。日曜日の夕方になると、日本テレビ系列局にチャンネルを合わせるお父サンも多いハズだ。その初回放送から現在まで、ただ1人レギュラー出演を続けているのが司会の桂歌丸(79)だが、ここにきて彼の健康状態に関し、さまざまな憶測が流れている。「近年の歌丸師匠は病気がちで、番組を休むこともしばしば。50周年の節目を花道に、司会を勇退するって話がチラホラ出てますね」(芸能ジャーナリスト)

 落語芸術協会会長の重職に就いている歌丸だが、身体は“病気のデパート”状態。過去には脱腸、急性腹膜炎、腰部脊柱管狭窄症(ようぶせきちゅうかんきょうさくしょう)、肺気腫、慢性閉塞性肺疾患、帯状疱疹(たいじょうほうしん)、肋骨骨折、背部褥瘡(はいぶじょくそう)を患い、15年夏も腸閉塞で入院している。退院後の10月18日に行われた『芸協らくご祭り』に登場したときには終始、車椅子を使用し、顔色も悪かった。

「すっかりやせ細った歌丸師匠を見て、取材陣が“食事は、ちゃんとなさってますか?”と質問すると“いやぁ、すっかり食が細くなって。赤福2個も食べたら、もういっぱいですよ”と、笑いながら答えたものの、現場にいた記者は笑うに笑えなくて、ドン引きでした」(スポーツ紙記者)

 最近の『笑点』は出演者が舞台下手(しもて:舞台に向かって左側)から登場してくるが、実は、これも下手に席がある歌丸の歩く距離を少しでも短くするための工夫のようだ。そんな歌丸だが、落語界からはこんな声が。「歌丸師匠? まだ79歳でしょ。世間ではともかく、落語界で70代は若いほうです(笑)」(中堅落語家)

 実際、過去に『大喜利』メンバーだった三遊亭金馬は85歳。芸協のライバル団体、落語協会の会長を長く務めた三遊亭円歌は87歳だが、2人とも今も元気に高座に上がっている。「歌丸さんの師匠の桂米丸さんに至っては、大正生まれの91歳ですが、この正月も10日間以上、寄席の定席をこなす活躍ぶり。しかも、自作のネタおろしもまだ続けてますからね。米丸さんに比べりゃ、歌丸さんはまだ“ヒヨッ子”ですよ(笑)」(演芸関係者)

 昔から体が弱かった歌丸だが、どうして頭はシャッキリしているようで、「近年は古典落語に精力的に取り組んでおり、8月の国立劇場でも、自らライフワークと呼ぶ三遊亭円朝の怪談噺(ばなし)をネタおろし。口跡(こうせき)鮮やかに演じきっています。『笑点』の司会でも、晩年に“まずは第二問”などと迷司会ぶりを見せた先代の(三遊亭)円楽さんより、よほどしっかりしてますよ(笑)」(芸能記者) 世間の物差しでは計れないのが落語の世界か!?

 さて、そんな国民的長寿番組の『笑点』だが、そもそもは落語家の立川談志師匠(2011年逝去)が司会を担当して好評だった『金曜夜席』を前身として始まった。第1回放送は1966年5月15日だった。現在『笑点』大喜利のレギュラーを務めているのは、年齢順に歌丸、林家木久扇(78)、三遊亭好楽(69)、三遊亭小遊三(67)、三遊亭円楽(65)、春風亭昇太(56)、林家たい平(51)の7人だ。落語に関する著作も多い作家の吉川潮氏は、『笑点』が長続きしている理由を、こう指摘する。「いい意味でのマンネリの魅力でしょうね。たとえて言うなら『水戸黄門』。展開や筋書きはほぼ分かっているけど、だからこそ安心して見ていられるという。また『大喜利』のメンバーに落語の与太郎や熊さん、八つぁん、ご隠居や若旦那を当てはめて、今でいうキャラづけをして分かりやすくしたのも成功の要因」

 二番目の木久扇は番組では“与太郎キャラ”だが、実像は、絵本の執筆からラーメンまで手がける切れ者で、プライベートではお洒落と、もっぱらだ。さらに、落語協会で相談役を務める木久扇が男を上げたエピソードがある。「11年に東日本大震災が起きて自粛ムードが蔓延し、各地の落語会も中止が相次ぐ中、木久扇師匠は“こんなときこそ、我々は落語で日本を元気にしなきゃいけない。誰もやらないならアタシがやる!”と、協会の役員会で熱弁を振るったんです」(落語協会所属の若手落語家)

 その熱意が奏功し、2か月にわたる『復興支援寄席』なる慈善落語会が実現。大御所を格安の入場料で見られるとあって、会は大盛況だったが、「ただ、木久扇師匠に実務を任せるのは役員会も不安があったようで(笑)、結局、三遊亭円丈師匠が実務を押しつけられる格好になりました(笑)」(前同) ちゃんとオチをつけるあたりは、さすが!

 一方“泥棒キャラ”で知られるのが三遊亭小遊三。もちろん、人相からの連想で、本人の手クセが悪いわけでは決してない(はず)。「卓球名人の小遊三師匠は64年の東京五輪と98年の長野五輪で聖火ランナーを務めたスポーツマン。若手の頃に好楽師匠の実家に居候していたのも、何かの因縁でしょう」(放送関係者)

 “腹黒キャラ”の三遊亭円楽は、大喜利メンバーとしては木久扇に次ぐ古参だ。「次の大喜利の司会は、この人と目されるだけあって、歌丸師匠の勇退を心待ちにしている……という話があれば面白いんですが、実際はとても仲良し」(前同) “若旦那キャラ”の好楽は、かつては木久扇と同じく林家彦六(先代正蔵)一門だったが、彦六師匠の没後、五代目円楽一門会に移籍。「本人にはたくさんお弟子さんがいますが、実子の王楽さんは、あえて先代の円楽師匠に預けて修業させています」(同)

 かつてCS日テレで『笑点ジュニア』なる番組が放送されていた(07~11年)が、ここに王楽は出演していた。ちなみに同番組で司会を務めたのが春風亭昇太。コーナーを任されていたのが林家たい平だった。その昇太は“独身キャラ”で知られるが、決してモテないわけではないという。

 20年ほど前に、某美人女優と交際していたという情報を本誌は聞きつけた。「当時の兄(あに)さんには“オレの彼女は凄い美人だから、おまえが見たら目が潰れちゃうよ”なんてノロケられたものですが、知らないうちに破局してました。兄さんがいまだに独身なのは、その人を超える女性と出会ってないからかもしれません」(後輩の中堅落語家) 意外とロマンチスト? 一方、たい平は座布団の上を飛び回るのがお約束となっているが、実際は、「楽屋では他の出演者に気を遣い、着物を畳むときもくつろぐときも、すべて畳一枚の中で収まるようにする几帳面な方なんです」(前出の若手落語家) また、テレビでは恐妻家として知られているものの、「実生活でも、やっぱり恐妻家です(笑)」(前同)

 盟友・立川談志師匠に誘われ、67年から69年にかけて『笑点』の2代目・座布団運びを務めた毒蝮三太夫は、こう振り返る。「そもそも毒蝮という芸名は、談志と先代の円楽さんにつけられたんだ。当時、オレは本名で『ウルトラマン』に出ていたんだけど、科学特捜隊員が座布団運んでるのは変じゃないかと、周りにさんざん言われたこともあり、じゃあ、別な名前をつけようと。談志が“蝮(まむし)はどうだ”と言うと、円楽さんは“蝮は蝮でも毒蝮だね”。最初はイヤで仕方がなかったけど、番組で襲名披露までやる騒ぎになっちゃってね。紀伊國屋書店社長の田辺茂一さんが音頭を取り、小林桂樹さんや山口洋子さん、野末陳平さんたちが会を盛り上げてくれた。今では、いい思い出だね」 さらに続けて、「『笑点』を作ったのは談志なんです。出演者を選び、それぞれの役割を考え、企画を考える名プロデューサーだったね、彼は。ただ、談志の指向する笑いはブラックなユーモアやアイロニー、諧謔(かいぎゃく)味のある笑いだった。大喜利の答えが客に受けると途端に機嫌が悪くなるんだよ(笑)。で、衆院選に出馬することが決まったこともあって、談志は69年に『笑点』の司会を降りるんです。自分も一緒に辞めました」

 談志師匠の望んだ方向ではないにせよ、その後も『笑点』の人気は高値安定を続け、現在に至っている。「今は地上波で15分も20分も一人の落語家の高座を中継するのは不可能に近い。ブツ切りではあっても『笑点』は落語のエッセンスを伝える番組であってほしいよね」(前出の吉川氏) 笑う門には福来たる。お後がよろしいようで……。

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