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豪腕・田中角栄が遺した「現代ニッポンを救う方法」

[週刊大衆2016年08月01日号]

豪腕・田中角栄が遺した「現代ニッポンを救う方法」

 国と民の未来を思い描いてそれを実現しようと全身全霊で努力する。明晰な頭脳と燃える心を持つ彼の姿を見よ!

「現代の日本に吉田茂が、あるいは岸信介が生きていたら、と言う人はいない。何度でも蘇るのは、田中角栄ただ一人です」 こう語るのは、作家の大下英治氏。

 “決断と実行”を掲げ“コンピュータつきブルドーザー”と評された稀代の政治家・田中角栄(1918~1993)。「もし今、角さんが生きていたら……」 没後23年にして何度目かの“角栄待望論”が巻き起こるのは、難問が山積し、閉塞感に覆われた日本の現状の反映と言えるだろう。新潟県の雪深い農村に生まれ、高等小学校卒の学歴ながら政界入りを志した田中は47年の衆院選で28歳の若さで初当選。その後、郵政、大蔵、通産大臣を歴任し、自民党幹事長として豪腕を発揮し、72年7月、54歳で内閣総理大臣に就任。“庶民宰相”“今太閤”と呼ばれた。

 しかし、金脈問題が『文藝春秋』の記事で暴かれ、田中政権は2年半後の74年12月に崩壊。さらに76年にはロッキード事件で、5億円の受託収賄の容疑で逮捕・起訴される。しかし、その後も長きにわたって政界に君臨し“キングメーカー”“目白の闇将軍”として日本政治史にその名を轟かせる巨星だ。その田中が、自民党総裁選出馬直前の72年6月に出版したのが『日本列島改造論』(日刊工業新聞社)だった。

 東京への一極集中から地方再生へ。全国に伸びる高速道路網と新幹線を軸に、日本全体の工業化を促進するというグランドデザインを描いた同書は、91万部のベストセラーを記録。日本全国に“列島改造ブーム”を巻き起こした。全国を高速道路と新幹線でつなぐという構想は現在、高速道路で130%も実現した。ただし、新幹線は30%の実現率。ビジョンの完成が望まれる。

 “将来の日本”を大胆に構想した『日本列島改造論』の根本思想は、44年後の今でも輝きを放ち続けている。その『日本列島改造論』を受け継ぐように、前出の大下氏が著したのが『田中角栄の新日本列島改造論』(双葉社刊)だ。同書は、生前の田中を知る政治家、官僚、側近ら14人の証言から、現代日本が直面する諸問題を“角さんなら今の日本をこう変える”という視点で分析している。

 大下氏は、人間・田中角栄の魅力をこう話す。「角さんの料亭での会合は週3回。午後6時から7時までに一軒、7時~8時で一軒、8時~9時で一軒といった調子で、駆け足で回りながら政財界の大物たちと会うわけです。吉田さん、岸さんだと上座に座って杯を受けるわけですが、角さんは自ら徳利を持って“やぁやぁやぁ”と自分でお酌をして回り、その場にいるみんなと話す。これは感激しますよ」

 自派閥の議員たちの面倒を見る際も、気配りを忘れないのが角栄流だ。「金を配るとき、角さんは愛人で金庫番だった佐藤昭子さんに、よくこう言っていたそうです。“金を渡すときに、くれてやるという態度は絶対に見せるな。もらうほうも辛いんだ”と。角さんは苦労人だけに、人を見る目に温もりがある。非常に目線の低い人なんですね。彼の言葉に“人間はみな失敗する。できそこないだ。そのできそこないを愛せるかどうか。そこにすべてがかかっている”というのがある。私が一番好きな言葉です」(前同)

 そんな田中が遺した、苦境にある現代日本を救う方策とはなんだろうか。「戦後の大物政治家は、角さん以外はほとんど、旧帝大卒のエリート官僚だった。非常に優秀だが、決められたレールの上を走るのは得意でも、飛び抜けた発想をすることができない。角さんには実業家出身として、従来の政治家とはまったく違う発想力があったのです」(同)

 代表的な例が、田中が成立させたいわゆる「道路三法」だ。戦後日本の発展には道路が必要だが作るための財源がない。それなら財源を作れ、という考えのもとに生まれた法案だ。「現在でも政策が浮上するとまず“財源は”という議論が起こる。角さんの場合“財源がないなら作ればいい”と、ガソリン税、重量税という道路を作るための特定財源を生み出した。官僚からは決して出てこない発想です。田中土建工業を起業した経歴が彼の原点。角さんの言葉は常に具体的で、抽象論がないんです」(同)

 仕事の進め方も他の政治家とは大いに違っていた。「政治家は官僚とぶつかりがちだが、角さんは違う。学歴はなかったけれど、官僚は大好きで、優秀な官僚を使うのが抜群にうまかった。民主党政権が“霞が関なんて成績が良かっただけで大バカだ”と批判したのとは対照的ですね。角さんの場合、トップの事務次官や局長級ではなく、課長や課長補佐など現場の人間をかわいがって、そこから情報を取っていた。官僚は政治家に対して面従腹背で、大臣もどうせ1年で交代する、と内心バカにしているもの。しかし、勉強熱心で情報通の角さんは、たちまち官僚にも一目置かれ、9割もの官僚に慕われていました」(同)

 そして、これは、と見込んだ官僚を田中は参院選に自派から出馬させた。田中派の参院議員はほとんどが官僚出身で、それは大きな強みとなった。「角さんは毎朝8時から10時までの2時間、目白の自宅で人と会うことを日課にしていました。1組3分で、2時間で40組。彼らの陳情を聞いて、角さんが“分かった”と答えたときは“話は聞いた”という意味ではなく“その件は引き受けたから大丈夫だ”という意味。その場でOKを出すんです。そこで活きるのが現場を知り尽くした官僚出身の田中派の国会議員たち。角さんは“これはアイツにやらせれば大丈夫だ”と即時に決を下せるわけです。その一方で、角さんはできないことはその場で“そりゃダメだ”と即答した。世の中で一番傷つくのは、できると思っていたのに、後でダメと言われることですからね。人の心に通じた角さんらしい思いやりなんです」(同)

 かくして、田中派はどんな相談事を持ち込んでも対処してくれる「総合病院」と呼ばれるようになり、田中は霞が関と永田町を制したのだ。

 運輸相、経産相を歴任し、現在、自民党総務会長の重責にある二階俊博衆院議員は、田中派議員として角栄の薫陶を受けてきた。「二階さんは、和歌山県議時代に角さんに会ったときに“お前は次は必ず中央競馬(国政)に出られる男だよ”と言われたそうです。“田中先生、なんで分かるんですか?”と聞くと、角さんは“分かるさ、おれは馬喰(ばくろう)の子だよ。人間見たって分かるんだ”と笑ったといいます」(同)

 二階氏は『新日本列島改造論』の中で、こう語っている。「もし田中角栄が今いたら、新エネルギー資源の獲得に走る。メタンハイドレートの活用も、大胆に推し進めるだろう」 高圧でガスがシャーベット状になった“燃える氷”メタンハイドレートは、尖閣諸島周辺の深海底に大量に存在するといわれ、有効に取り出す手段が確立すれば、日本は一躍エネルギー大国になる。エネルギー外交に奔走した田中ならば、それに目をつけないはずがない、というのだ。

 もうひとり、田中角栄の元でキャリアをスタートさせた大物政治家がいる。防衛相、農水相、自民党幹事長などを務めた石破茂地方創生相だ。石破氏の父・二朗氏は建設省の事務次官を務めたのち、郷土・鳥取の県知事を4期務めた。そして74年、田中角栄に請われて参院選に出馬し、当選。息子の茂氏も父の死後、田中事務所の職員となり、身近でその行動を見てきた。

『新日本列島改造論』では田中に有罪判決が下ったのちの、いわゆるロッキード選挙での逸話が紹介されている。<ロッキード選挙が行われた昭和58年12月、石破は、田中事務所で選挙の応援の日程づくりなどを担当していた。その際に、田中が田中派の総会で、居並ぶ田中派の議員に語った言葉も印象的であった。「おまえたち、おれの悪口を言って、また国会に戻ってこい。“おれは田中派だが、田中は許せない”、そう言って当選してくるんだぞ」 もちろん田中派の議員たちは誰一人として、その選挙で田中の悪口を言わなかった>

 そのように背中を見てきた石破氏は現在、地方創生大臣として、田中の悲願だった地方活性化に注力し、DNAは脈々と受け継がれている。最後に、大下氏の言葉を聞こう。「角さんには、根底に商人の発想がありました。皆がのびのびとビジネスをする、民を重んじる発想です。“生活がすべてだ”という思いがある。今の政治家には、生きた経済が見えていないのではないでしょうか」 “最強のリーダー”田中角栄が遺した方策は、いつか我が国を救うはずだ。

豪腕・田中角栄が遺した「現代ニッポンを救う方法」

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