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【感動秘話】天皇陛下「心に染み入る」お言葉を振り返る

[週刊大衆2016年08月08日号]

【感動秘話】天皇陛下「心に染み入る」お言葉を振り返る

 戦後の日本を見守り続け、おかけになった数々の心温まる“お言葉”を振り返り、今回報じられた“ご決断”の意味を考えてみたい――。

 天皇陛下が明治以降初めてとなる「生前退位」の意向を示された――。さる7月13日、NHK『ニュース7』のスクープで始まった一連の報道は、今なお、国民に衝撃を与え続けている。宮内庁の山本信一郎次長は同日中に否定し、菅義偉官房長官も「生前退位の検討はしていない」と明言したが、それでも、生前退位は避けられないだろうというムードが支配的だという。

「というのも、陛下のご意志が固いとみられているからです。陛下は月に1回、皇太子さまや秋篠宮さまに宮内庁長官を加えた会合を開かれていますが、折に触れて生前退位の意向を伝えてこられたといわれています」(宮内庁担当記者)

 陛下が、そのご意向を抱くようになったのは5年前の2011年2月、ご自身が心臓冠動脈の精密検査を受け、翌年、心臓のバイパス手術を受けたのがきっかけだといわれている。「陛下がお調べになっていたのは、大正天皇の病状が深刻化し、皇太子だった昭和天皇が摂政(せっしょう)をお務めになった経緯や背景でした。宮内庁書陵部から資料を取り寄せ、なぜ摂政しか認められていないのか、丹念にお調べになっていました。ご自身の健康面の問題で公務が滞ることを懸念されていたのではないでしょうか」(前同)

 当時から、それを回避する手段を模索されていたのだろう。実は、今回の陛下のご意向を受け、5月頃から、すでに宮内庁幹部が水面下で検討を進めているという報道もあり、この8月には、陛下自身が国民に説明されるともいわれている。しかし、陛下が健康不安という理由だけで生前退位を決意されたわけではない。そこには象徴天皇として、国民に対する熱いメッセージが込められていたのだ。「国民と苦楽を共に。それこそが象徴天皇として果たす責務であると、陛下は即位後ずっと意識としてこられました。そのため、ご自身の体調によらず、公務を一つ一つ丹念にこなしてこられました」(皇室ジャーナリスト)

 しかし、陛下も現在82歳。ご高齢になられる一方で、逆に公務は増えるばかり。平成の世になってからは、ソ連の崩壊をはじめとした独立国家の誕生が相次ぎ、国家元首などの国賓来日の機会も激増した。「宮内庁では、陛下が70代後半になられた頃から、公務をできるだけ軽減したいと考えるようになってきたんです」(前同)

 宮内庁のみならず、皇后陛下や長女の紀宮さま(現・黒田清子さん)も、負担の軽減が望ましいとの考えを示された。ところが2003年、陛下は70歳のお誕生日会見で記者団の質問に対して、次のような“お言葉”を残されている。<2人(皇后陛下と紀宮さま)とも私の健康を心配して、負担の軽減について考えてくれていますが、公務を減らすとは言っていません。天皇の公務はある基準に基づき、公平に行われることが大切であるという私の考えを共有しているからです> このお言葉の意味を、前出の皇室ジャーナリストがこう読み解く。

「陛下は、どの公務も平等に全力投球しなければいけないという強い意志を持っておられます。また、天皇に代わりはいないという信念もお持ちです。摂政といえども、“天皇の名代”に過ぎないという考えです。つまり、象徴天皇の務めを果たせるのは天皇しかおらず、天皇がすべての公務に全力投球するためにも、若い皇太子に皇位を譲るべきだとのお考えなんだと思います」

 それもこれも、天皇が“国民と苦楽を共にする”ために――である。即位後、陛下は常にそのことを意識され、国民は陛下の“お言葉”に勇気づけられてきた。特に、災害時ともなると、なおさらだ。陛下が初めて災害の被災地を慰問されたのは、1991年に雲仙普賢岳が噴火した際。避難所で陛下は床に膝をつき、目線の高さを被災者に合わせ、言葉を交わされた。その後、どの災害現場でも、陛下はその姿勢を貫かれている。

 2011年の東日本大震災では、発生の5日後にビデオ映像で、<国民一人ひとりが、被災した各地域の上にこれからも長く心を寄せ、被災者と共にそれぞれの地域の復興の道のりを見守り続けていくことを心より願っています>と、被災者のみならず、全国民にメッセージをお伝えになった。「それだけではありません。陛下自身、範を示されました。福島第一原発事故の影響で、一部の地域で計画停電が実施されると、陛下は御所で“自主停電”を実行されたんです。そのとき、陛下は“私の体調を気遣ってくれるのはありがたいが、寒くても厚着すればいい”と、ご発言されていたそうです」(前出の宮内庁担当記者)

 また、陛下が被災地をお見舞いされた際、多くの国民を感動させた事実は、まだ記憶に新しい。まず、宮城県南三陸町でのこと。当時は物資が不足していて、避難所である中学校の体育館でも、天皇、皇后両陛下用に、2足分しかスリッパを用意できなかった。同行した町長にはスリッパがなく、それを見た皇后陛下が履きかけたスリッパを脱ぎ、天皇陛下までもが脱ごうとされた。結果、陛下は被災者と同じ靴下姿のまま、お見舞いされたのだ。

 また、その翌週、両陛下がマイクロバスで岩手県釜石市の陸上競技場から避難所の中学校へ移動する際、沿道の住民が手を振っているのを見て、両陛下は30分間、バスの中で立ったまま、ずっと沿道の住民に手を振られたという。「両陛下の東北3県のお見舞いは日帰りで行われました。理由は、宿泊すると現地に負担をかけるからです。その結果、かなりのハードスケジュールになりました。当時、すでに77歳のご高齢だった陛下は、やはり11月になって体調を崩され、気管支炎のために20日近く入院なさいました」(前出の皇室担当記者)

 その入院中も、陛下は公務をおろそかにしなかった。「入院中、皇太子さまが代読する式典のお言葉を、お考えになっていたんです」(前同)

 陛下が記者会見や式典などで述べられる“お言葉”。「そのほとんどが、陛下ご自身でお考えになっています。それだけに、一つ一つのお言葉には陛下の気持ちが込められ、重みがあります。どのお言葉も心によく残っていますが、私が感動したのは、今年1月、フィリピンを訪問されたときのお言葉でした」(皇室ジャーナリスト)

 フィリピン大統領主催の晩餐会で、陛下は大統領にこう述べられた。<貴国の国内において日米両国間で熾烈な戦闘が行われ、このことにより貴国の多くの人が命を失い、傷つきました。このことは、私ども日本人が決して忘れてはならないことであり、この度の訪問においても、私どもはこのことを深く心に置き、旅の日々を過ごすつもりでいます> 戦後70年間、平和を強く望まれてきた陛下ならではのお言葉だ。「日本が加害者として苦しめた人々のことを忘れていないことが分かり、深い感銘を受けました」(前同)

 フィリピン国民にも感動を与えた陛下のお言葉は、あの“フィフティーン”にも届いていたようだ。昨年のラグビーW杯で“世紀の番狂わせ”を起こした日本代表に陛下は、こんなメッセージを送ったという。<日本チームの勝利に、(イギリスの)チャールズ皇太子からお祝いのメッセージをいただきました。皆さんの奮闘は日本だけではなく、世界からも注目されているのです> このお言葉に奮起しない者はいないだろう。「昨年の終戦記念日、陛下は戦没者追悼式で黙祷とお言葉読み上げの順番を間違えられたことが話題になりましたが、そのようなことが、国民一人一人に思いを伝えたいという気持ちが強い陛下だけに、公務を全うできないとお思いになったのかもしれません。このまま天皇として公務を続けることは、即位以来、一貫して守ってこられた思いに反することになると……」(宮内庁担当記者)

 だからこそ、生前退位を強く望んでおられるのではないかという。しかし、江戸時代以前に生前退位は可能だったが、明治に制定された旧皇室典範では認められなくなった。戦後の皇室典範でも、譲位は認められていない。陛下が皇太子殿下に譲位するには、一般の法律と同じく、国会で皇室典範の改正が必要になる。「難しい問題もありますが、陛下のお気持ちを汲めば、2~3年後には実現できるのではないかと思っています」(皇室ジャーナリスト)

 象徴天皇として国民と苦楽を共にする――陛下のその思いは、“永田町”に届くのだろうか。

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