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SMAP中居正広「TOKIO城島茂が驚嘆した」すさまじい“陰の努力”

[ブリュレ]

SMAP中居正広「TOKIO城島茂が驚嘆した」すさまじい“陰の努力”

 ジャニーズの合宿所は、かつて東京原宿の明治神宮前あたりにあった。後に六本木に転居し、現在は撤廃されたこの合宿所制度は、レッスン場に通うことが不可能な遠方の未成年Jr.たちを、タダで住ませるものだった。古くは田原俊彦や近藤真彦らも住んだ、昭和の時代に生まれたシステムだ。

 その原宿時代の後期、合宿所に入居したのが、後にSMAPとなる中居正広とTOKIOの城島茂だった。当時、中居は16歳で、城島は18歳。そこで城島は、中学を卒業して間もなかった中居がひそかにしたためていた“ネタ帳”を目撃する。

 当時、細身の中居はよく体調を壊し、何度か病院に運ばれていた。ある日の夜も、中居は顔を真っ青にして倒れ、救急車で搬送された。一人ぼっちになった合宿所で、城島は中居の部屋に入り、そこでノートを発見。ページをめくると、そこにはMCのセリフや演出などについて、ビッシリと書き込まれていた。

 中居が努力を表に出さないタイプなのは知っていた城島だったが、そのノートを見て「こいつ、16(歳)でここまで考えて……」と関心。それ以来「中居」と呼んでいたのを「中居ちゃん」と変え、現在では「中居くん」になっている。

 中居は“メモ魔”で、いつもノートを持ち歩き、いろいろなことを書きつけていたようだ。一時はやめていたが、1994年に21歳で、5歳下の香取慎吾と、昼の大人気番組『笑っていいとも!』(フジテレビ系)の曜日レギュラーに抜擢されたとき、再びノートをつけ始めたらしい。初めの頃、番組で中居は何もできず、ただ立っているだけだった。

 そこで中居は、ノートに台本のようなものを書いて、自分が「タモさん、元気ですか」と話しかけたときの相手の返しをいろいろと考えたりした。また、香取にも事前に、「今日はこれやろう」「今日はこういうことを振るからな」と話していたが、生放送はアクシデントも多く、中居の想定どおりには進まなかった。

 今でこそ、アイドルがバラエティ番組に出ることは珍しくないが、当時現役アイドルが芸人と一緒に生放送のバラエティに出ることは異例。しかしその頃は、歌番組が相次いで終了していた時期でもあり、アイドルの出られる番組は少なく、そんな状況もあってのバラエティ進出だった。そして、後に中居の努力は実を結ぶ。

『笑っていいとも!』で挫折を味わい、経験を積むこと3年。中居は25歳の若さで『NHK紅白歌合戦』の白組司会者に起用される。25歳というのは、白組司会史上最年少だった。その後、白組5回、紅組1回の通算6回、司会を務めている。紅組と白組、両方の司会を務めたことがあるのは、これまでに中居だけだ。

 現在もバラエティなどでMCの仕事が多い中居正広。SMAPは年末に解散し、メンバーはそれぞれの道を行くことになるが、彼の未来は明るそうだ。

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