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日本一監督同士の確執!? 野村克也と栗山英樹「恩讐と愛憎の25年」

[週刊大衆2016年11月28日号]

日本一監督同士の確執!? 野村克也と栗山英樹「恩讐と愛憎の25年」

 驚異的な高視聴率で大いに盛り上がった今年の日本シリーズを“最低”だったとこき下ろしてみせた「球界のご意見番」。その腹の内には「何か」がありそう……。

<最低の日本シリーズだったね。拙攻の繰り返しで、投手交代のちぐはぐさが多かったろ。だからつまらない><地元ファンや素人に受けが良かっただけ>

 瞬間最高視聴率74.1%(広島地区)を記録したのをはじめ、広島では軒並み50%前後、札幌でも40%前後の高視聴率を叩き出し、大いに盛り上がった今年のプロ野球日本シリーズ。だが、11月8日に発売された写真週刊誌『FLASH』のインタビューで、こう語る御仁がいる。それが、球界の重鎮・野村克也氏だ。

 さらに同氏は、日本一となった日本ハムの栗山英樹監督に対しても、手厳しい。<栗山監督がお立ち台で泣いただろ。あの涙はなんなんだ! 途中で監督が泣いたのは初めて見た。プロ野球81年の歴史でいちばん呆れたわ>

 今年の日本シリーズは、本当に“最低”だったのか。元巨人V9戦士の一人で、野球評論家の黒江透修氏に聞いてみると、「いや、ここ数年では一番面白いシリーズだったと思いますよ。この前、スポーツ紙で対談した長嶋茂雄さんもそう言ってました。拙攻が多かったって言うけど、日本シリーズで硬くなるのは当たり前。確かに、継投におかしな点はあったけど、最低のシリーズとまで言うのは、おかしいと思う」

 やはり、玄人目で見ても面白かったようだが、もともと栗山監督は、野村氏がヤクルトの監督だった頃の愛弟子のはず。なのに、“毒ガス攻撃”のエグいこと、エグいこと……。

 2011年に放送されたバラエティ番組『クイズ☆タレント名鑑』に出演した野村氏は、「教え子の名前を何人覚えている?」という質問で、栗山に関して「どうもね、こういうタイプの選手は嫌いでね」と一蹴。

 実は、この放送の直後に日本ハムの監督に就任が決定したが、それも自著で、<現役を引退し20年もユニフォームを着ることもなく、コーチの経験もなかった。その栗山が何故いきなり監督なのかと驚いたが、親会社のオーナーとつながりがあったそうだ>(『由伸・巨人と金本・阪神の崩壊』2016年宝島社)などと言いたい放題。

 また、大谷翔平の起用に関しても、二刀流として育て始めた当初は、「なめとんのか」と嫌味連発。大谷が結果を出し始めると、徐々に二刀流容認の方向に発言を軌道修正したが、今年は「1番・投手」の采配を「論外だ」と一笑。1回に打順が回ってくる1番ではマウンドに立つ準備ができないという理由は納得できるが、そんな采配をする栗山監督を<自分が目立ちたいだけだ>(前掲書)とまで酷評しているのだ。

 要は<栗山は監督の器じゃない>(前掲の『FLASH』)と言いたいらしい。“知将”野村克也はなぜ、そこまで愛弟子をこき下ろすのか。そこには、四半世紀にわたる両氏の間の“因縁”があったのだ。

「栗山監督はノムさんのことを快く思っていないでしょう。なにせ、自身が20代で引退する一つのきっかけを作った人物ですから」(スポーツ紙デスク)

 東京学芸大出身の栗山監督は、本来プロと無縁の“教員の卵”だった。「彼をプロに推したのは、元プロ野球選手でスポーツキャスターの佐々木信也さんらしい。佐々木さんが、ご子息の大学野球を観戦した際、対戦相手の栗山に目をつけて、ヤクルトを紹介したって話だよ」(事情通)

 入団テストを経て、1984年にドラフト外でヤクルトに入団したわけだが、当時、ヤクルトのスカウト責任者だった片岡宏雄氏はこう証言する。「バッティングはそこそこで、足は速かった。でも、スローイングはあまり良くないから、プロでやっていくのは難しいと思った」

 片岡氏は、国立大学を出てまで不安定な仕事に就くこともあるまいと、入団を断るつもりだったという。「どうしてもやりたいと本人が言うので、熱心だったし、守備固めとか、代走として使えるかもしれないと、入団を認めたんだ」(前同)

 栗山選手は猛練習に取り組んだ。当時の打撃コーチとのマンツーマンでの練習で覚醒し、3年目の86年に外野手としてレギュラーに定着。88年には規定打席不足ながら.331の打率を残すまでになり、89年にゴールデングラブ賞を受賞するなどの活躍を見せた。

 そんな栗山の転機となったのが、野村氏がヤクルトの監督に就任した90年。この年、栗山は右ヒジの故障やメニエール病の発症に加え、若手の台頭もあって、出場機会が激減。29歳の若さで現役を引退した。

「まあ、故障と病気が引退を決める一番の理由だろうけど、干されたからってのもあると思うよ。ノムさんが来て1年で引退しちゃってるわけだし。まあ、叩き上げのノムさんのことだから、“国立大出のコネ入社”が嫌いだったんでしょう」(前出の事情通)

 後に栗山監督はメディアの取材に対して、「野村さんとの時間は僕にとっては宝物なんです。あの経験があるから今、選手たちに対して、きちんと向き合うことができるんだと思います」などと答えて、表面上は野村氏を立てているように見えるが、本音は違うようだ。

「もし、栗山監督がノムさんを本気で尊敬しているなら、“師匠は、野村さんです”と公言しているはず。でも、栗山はノムさんの代名詞“ID野球”という言葉を一切使わない。ノムさんは、そこが気に入らないんじゃないかな」(前出のデスク)

“あの経験があるから”とは、反面教師という意味か。栗山監督がメディアの取材に対して口にするのは、かつての名将・三原脩監督の名前。栗山監督は三原監督がヤクルト監督時代につけていた「80」の背番号を身につけている。

「三原氏は、巨人、西鉄、大洋、近鉄、ヤクルトなどを渡り歩いた勝負師。選手の調子やバイオリズム、相手チームの弱点を見逃さず、周囲があっと驚く采配を何度もやってのけ、魔術師の名をほしいままにしました。今年の栗山采配のそこかしこに、三原魔術の影を見ることができます」(前同)

 たとえば7月中旬、右手中指のマメのためにエースの大谷がローテーションを外れた際、抑えで不調に喘いでいた増井浩俊を先発に転向させる“奇策”が見事に成功。合わせて、大谷を休ませず打者に専念させて、苦しい時期を乗り切った。

 また、11.5ゲーム差からの逆転優勝自体、三原氏が西鉄を率いていた58年に、南海を相手にやってのけた11ゲーム差の逆転優勝に酷似している。さらに言えば、二刀流選手を育てたのも、三原氏が元祖だ。「三原氏が近鉄の監督だった68年、当時の新人投手・永渕洋三に投手、外野手、代打の3役を与えて使いこなし、翌年には打者に専念させて、首位打者を取らせています」(球団関係者)

 まさに名将・三原を再現している栗山監督だが、これがまた、野村氏をカリカリさせているに違いない。「ノムさんは、三原さんに加えて、水原茂、鶴岡一人、川上哲治、西本幸雄の各監督を5大監督と称していますが、一方で“彼らは内野手出身。細かい点を見ているという点では、やはり捕手の右に出る者はいない”とも言っています」(前同)

 つまり、自分が最高の名監督で栗山監督が教え子なのに、それを無視しているのが許せないのではないか。「まあ、普通の会社でも、成功した直属の部下が、他部署の先輩のおかげですなんて言ったら、面白くないですからね(笑)」(同)

 ノムさんの“やっかみ”は、日本一になった栗山監督の成功を認めた証拠なのかもしれない!?

日本一監督同士の確執!? 野村克也と栗山英樹「恩讐と愛憎の25年」

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