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近代野球の父・スペンサー死去【二宮清純の「一刀両断」】

[週刊大衆2017年01月30日号]

近代野球の父・スペンサー死去【二宮清純の「一刀両断」】

 新年早々、海の向こうから訃報が飛び込んできた。阪急で活躍したダリル・スペンサーが88歳で世を去った。スペンサーと同時代に活躍した野村克也によれば、日本のプロ野球は「スペンサー以前」と「以後」に分けられる。

「もしスペンサーが来日していなかったら、日本の野球は10年、いや20年は遅れていたよ」 野村はこう語っていた。

 そのことを確かめたくて、一昨年秋、米カンザス州ウィチタの自宅にスペンサーを訪ねた。「(僕が来日するまで)日本の野球はリトルリーグのようなものでした」

 こう前置きして、元メジャーリーガーは続けた。「たとえば南海戦。二、三塁で野村に打席が回ってきたとする。米国なら、当然敬遠ですよ。ところが、日本では勝負にいく。そして案の定、打たれる。“なんで敬遠しないんだ!?”と僕は思った。当時、日本の野球人は“野球は確率のスポーツ”ということをまだ理解していなかった」

 今でこそメジャーリーグよりも日本野球の方が「緻密だ」などと言われるが、スペンサーが来日した1960年代前半、日本の野球は大雑把もいいところだったのだ。

 スペンサーの経歴はダテではない。ニューヨーク・ジャイアンツを振り出しにメジャーリーグで10シーズンプレーし、通算105本塁打を記録している。伝説の名選手ウィリー・メイズはジャイアンツ時代の同僚である。ピークアウトしてからの来日だったとはいえ、よくこれだけの大物が、当時“灰色の球団”と呼ばれた阪急にやってきたものだ。

 その阪急はスペンサーが入団して4年目の1967年、初のリーグ優勝を果たす。彼が持ち込んだ“インテリジェンス”がやっと花を開かせたのだ。

 知性派の半面、グラウンドに出ると人が変わったようなハードなプレーを身上とした。眉をひそめる向きもあったが、スペンサーは米国流を貫いた。今にして言えば本場の野球の伝道師でもあった。合掌。

二宮 清純(にのみや せいじゅん)
スポーツジャーナリスト。(株)スポーツコミュニケーションズ代表取締役。1960年、愛媛県生まれ。スポーツ紙や流通紙の記者を経てフリーのスポーツジャーナリストとして独立。オリンピック、サッカーW杯、メジャーリーグ、ボクシング世界戦など国内外で幅広い取材活動を展開中。「スポーツ名勝負物語」「勝者の思考法」「プロ野球“衝撃の昭和史”」「最強の広島カープ論」「広島カープ 最強のベストナイン」など著書多数。スポーツ情報サイト「SPORTS COMMUNICATONS」:http://www.ninomiyasports.com/

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