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松方弘樹と梅宮辰夫、最後の「感動秘話」

[週刊大衆2017年03月06日号]

松方弘樹と梅宮辰夫、最後の「感動秘話」

 昭和の大スターの死から30日あまり――。聞こえてきたのは義兄弟と称された“辰兄”との心温まる友情話だった!

 1月21日に脳リンパ腫のため亡くなった、俳優の松方弘樹さん(享年74)。映画『仁義なき戦い』シリーズや、仁侠映画、時代劇での名演技に加え、80年代以降はバラエティでも活躍した昭和の大スターの死を悼む声は、逝去から1か月がたった現在も、やむことはない。

 夕刊紙記者は言う。「松方さんは、同じ時代を生きた俳優仲間ばかりでなく、若い芸能人からも、とても慕われていました。たとえば、おバカキャラでブレイクしたつるの剛士は、マグロ釣りをしていた際に松方さんから、“つるのくん、松方です。そんな短期間で釣れたら苦労しないよ~。オレなんか年中、全国追っかけてるんだから!”と励ましの電話がかかってきたことを明かし、故人をしのびました」

 また、ダウンタウンの松本人志は、「まだ若手時代、スタッフとの打ち上げ中に松方さんがやって来て、“頑張ってるね。スタッフとドンドンやりなよ”と、ポンと100万円を置いていったという、豪快すぎるエピソードを明かしていました」(前同)

 ジャンルを超えて、多くの芸能人に慕われていた松方さん。だが、やはり芸能界で、その喪失感を誰よりも感じているのは、“義兄弟”とも称されるほど、深い絆で結ばれていた梅宮辰夫(78)であることは間違いないだろう。「東映の黄金時代、数々のヒット映画を世に送り出した2人は、お互いを、“辰兄”“浩樹(松方さんの本名)”と呼び合い、なんでも言い合える関係でしたからね」(映画関係者)

 当時、2人がともに過ごした時間は、とにかく濃密だった。「その時代の実録路線の仁侠映画は、リアリティを追求するため、本物の組織の組長や幹部と実際に時間をともにし、その言動や生き方を学んで演技に生かすのが当たり前でした。梅宮さんや松方さんも、そんな苛烈な日々を過ごしながら、信じられないペースで魂のこもった作品を世に送り出してきたからこそ、深い信頼関係で結ばれたんでしょう」(前同)

 そして2人は、よく遊んだ。梅宮と松方さんに、故・山城新伍さんを加えた3人は、派手な女遊びで知られていたという。本誌で連載を持つ芸能レポーターの須藤甚一郎氏は、こう話す。

「当時は、勝新太郎さんの“役者はサラリーマンのような普通の生活をしていちゃダメなんだ”という教えもあって、梅宮さんも松方さんも、いかにモテて女遊びをしているかというのを自慢し合っていましたよ。梅宮さんは“夜の帝王”と呼ばれていましたね」

 松方さんも、インタビューなどで“(1年で)700人斬り”と豪語し、「映画のロケ中に、じっと見つめてくる母と子どもがいると、“昔、関係を持った女性なのでは?”とソワソワし、その子どもに大金を渡そうとしたことが一度や二度ではないというから、スケールが違います。共演女優と同時期に関係を持ち、梅宮さんとそろって病気をもらったというようなエピソードもあります」(前出の映画関係者)

 また、共通の趣味でもあった「釣り」が2人の絆をより深いものにしたようだ。「マグロにこだわり続ける松方さん、“料理するまでが釣り”という梅宮さんと、アプローチは違うものの、海へのロマンを共有する者同士でもありました。松方さんが釣った魚を、梅宮さんが料理する、『松方弘樹・世界を釣る!』が人気番組になりましたよね」(芸能レポーターの城下尊之氏)

 いかに2人の関係が特別であったかは、事実婚の関係にあった元女優の山本万里子さん、松方さんの弟で俳優の目黒祐樹ら、わずか6人ほどで執り行われたという密葬に、梅宮も参列していたことが何よりの証拠だろう。

「昨年2月、松方さんが入院したのと同じ頃、梅宮さんも体調を崩して生死の境をさまよい、7月には十二指腸がんの手術を受けるなど、大変な日々を過ごしていました。そんな中、梅宮さんは松方さんを何度も見舞っていたそうです。梅宮さんは、“辰兄の作る弁当が食べたい”と言う松方さんに、いつも弁当を届けていたといいます。最後の対面となったのは昨年12月20日。そのとき、松方さんの体重は40キロにまで減っていた。梅宮さんは、“手を握ると骨だけ……”と大きなショックを受けたそうです」(芸能記者)

 この見舞いに関して、こんな秘話があった。「一時、容体が悪化し、面会謝絶となった松方さんの様子がどうしても知りたかった梅宮さんは、自ら松方さんと同じ東大病院に入院。車椅子に乗って病棟内の松方さんの病室を探し出し、わずかの時間ながら面会を果たしたそうです。梅宮さんも一時は余命宣告を受け、とても無理のできる状態ではなかったといいますから、まさに、決死の覚悟で盟友である松方さんの元へと向かったんでしょう。“浩樹に会いてぇ”。その一心だったと聞いています」(スポーツ紙記者)

 梅宮は松方さんが亡くなって3日後の24日に会見を開き、「しょっちゅう気になる存在。弟のようだった。寂しいです。悲しいです」とボロボロ涙を流しながら、「(松方さんは)昭和の映画スターの最後の生き残り。今ね、あいつみたいな生き方したら、すぐ潰される。今の芸能人は、“すみません。僕が間違っていました”という態度ですけど、あいつは“何が悪いんだ”と一歩も引かなかった。それを貫き通した。大したヤツだと思ってる」と、松方さんの生き方を振り返った。

 前出の城下氏は、「当初、役者になることに消極的だった松方さんでしたが、自分の知らないところで、主演デビュー作が決まっていたそうです。その際、映画関係者に“薬とピストルだけはやめてくれ”と言われたそうで、それだけは頑なに守ってきたんですが、それ以外のことは、とても自由でしたね」と振り返る。

「仁科亜季子さんとの離婚会見の際も、前日から我々と想定問答を準備していましたが、本番になったら持ち前のサービス精神もあって、予定外のことを話し、大批判を受けてしまったこともありましたね。小さなことにこだわらないスケールの大きさは、まさに昭和の映画スターのイメージそのものでした」(前同)

 梅宮は会見で、そんな最愛の“弟”の最期を見送ったときのことを語った。「(火葬場で)手を合わせていると、“天国にも海があって、カジグロっていうカジキとマグロのあいのこがいる。それを釣りに来い”と言われた気がした。“俺もすぐに行くよ”って言いました」

 そして、だが、こう続けた。「生き延びた分、頑張ってあいつの何年か分でも生きてやろうと思います」 弟を見送った兄の声には、強い力が込められていた

松方弘樹と梅宮辰夫、最後の「感動秘話」

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