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80年代の圧倒的カリスマ「尾崎豊伝説」没後25年特別レポート

[ヴィーナス2017年06月01日号]

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80年代の圧倒的カリスマ「尾崎豊伝説」没後25年特別レポート

 今から25年前の1992年4月25日、一人の男がこの世を去った。日本音楽界の歴史に名を残すロッカー、“尾崎豊”だ。26歳という若さの早すぎる死に当時、全国に衝撃が走った。

「尾崎さんが亡くなったと聞いたときは、何かの間違いであると思い、信じられませんでしたね。その後、僕のところにはマスコミや心配した知り合いから、ひっきりなしに電話が鳴り続けていました」

 こう話すのは尾崎の楽曲の共同制作者であり、デビューから晩年まで最も交流の深かったプロデューサー・須藤晃氏だ。今回、没後25周年を記し発売された特別ムック『別冊宝島2559 尾崎豊 Forget Me Not』(宝島社)の監修を務めた。同誌には尾崎の様々な偉業が記されているが、今まであまり明かされてこなかった伝説も多く書かれている。たとえば、楽曲制作について。

「実は制作を進めていて、尾崎さんが一度しか歌わなかった曲がたくさんあるんですよ。感情を未整理のまま伝えるレコードを作りたくてね。レコーディングは記録。だから、それで一発OKにしていた。その1回で十分だったんですよね」(前同)

 その一度に、どれだけ魂が込められていたのか想像に難くない。他にも尾崎伝説は後を絶たない。「デビューまもないとき、日比谷野外音楽堂で行われた『アトミック・カフェ・ミュージック・フェスティバル』で、2曲目の途中で突然、高さ6メートルの足場に登って、コンクリートの地面にジャンプしたんですよ。結果、左足を圧迫複雑骨折して全治3か月の重傷。翌日の吉川晃司らとのライブは欠席になったそうです」(同ムック編集者)

 ライブだけでなく、PV制作の現場でも全力であったという。「『卒業』のPVで尾崎がプールで溺れているシーンがあるんですが、実はそこで身体が浮いてこないようにポケットに石がたくさん詰め込まれていたそうです。本人も周囲も尾崎の限界を知りたかったんじゃないかと思います」(前同)

 また、こんなシビれる名言も残している。「尾崎は二度ニューヨークに渡っていて、活動を休止していた空白の時間があります。そこで、“NYは雑多な感じでゴミゴミしている。だけど、一方で孤独を誘い、孤独を感じうる街、孤独になれる街。そしてそれは……池袋も同じだ”と語っています。独特で孤高の感性を持っていた尾崎ならではの表現だと思いました」(同)

 人の心を熱くする尾崎豊の伝説は、これからも語り継がれていくだろう。

80年代の圧倒的カリスマ「尾崎豊伝説」没後25年特別レポート

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