日刊大衆TOP 芸能

桑田真澄“エースをあきらめかけた”天才ライバルを明かす

桑田真澄“エースをあきらめかけた”天才ライバルを明かす

 8月27日放送の『消えた天才〜一流アスリート』(TBS系)に元読売ジャイアンツの桑田真澄(49)が出演。PL学園で「絶対に勝てない」と思った同級生の天才投手について語っていた。

 この番組は、超一流アスリートが競技人生の中で遭遇し、衝撃を受けた“天才”について告白するというもの。番組の終盤、VTRで桑田について紹介し、巨人のエースとして活躍し、プロ通算173勝、最優秀防御率2回、39歳でメジャーリーグに挑戦。高校時代は戦後最高の甲子園20勝を挙げ、2度の優勝。PL学園の同級生、清原和博(50)とKKコンビとして活躍したと説明された。

 そんな桑田だったが、PL学園の同級生にどうしても勝てない天才投手がいたそうで、「この人にはかなわないって選手がいまして、目の前が真っ暗になりましたね。こんなすごいピッチャーがいるんだって」と、桑田は彼との出会いを振り返った。さらに、その天才投手は身長192センチのイケメンで日本ハムファイターズの大谷翔平投手(23)よりも投球に角度があって「ボールがビューン! と伸びる」と桑田は語り、清原とKKコンビと呼ばれていたが「もしかしたらKKではなく、TKコンビと言われていたかもしれない」と明かした。

 その天才投手の名は田口権一氏(50)といい、高校生当時から長身だった清原よりもさらに背が高く、投げれば名門PL学園の3年生を次々とねじ伏せたそうだ。桑田の同期でキャプテンだった松山秀明氏は「15歳にして球速145キロくらいの豪腕」で「今の桑田が存在していない可能性があった」存在だっと語り、当時監督だった中村順司氏は「陸上でも中長距離でオリンピックに出られる素材」と語っていた。しかし、なぜそんな天才が消えたのか?

 それは、1983年夏の全国高校野球選手権大会の大阪府大会決勝のこと。強烈なピッチャーライナーが先発投手だった田口氏の利き腕に直撃し、打撲による痛みで途中降板。その後、桑田が直ちに登板して相手打線を抑え、PL学園のエースの座についたのだ。一方、田口氏はコントロールと球威が落ちて、投手としての輝きを失ってしまった。桑田は田口氏と自身について、「腕を痛めてなかったら、当然、エース番号は彼がつけていたでしょうし、プロ野球選手にもなっていた」「僕はそのまま野手として、生きていくしかなかったので、ピッチャーは早い段階でやめていた。もしくは、野球も早い段階でやめていたかもしれない」と語っていた。

「田口氏は一部の高校野球ファンの間では知られた存在でしたが、ここまで大きく取り上げられたのは初めてでしたね。番組への田口氏の出演は、本人の希望で実現しませんでした。社会人になってからもプロを目指していたようですが、ケガを重ねたために野球は引退。しかし、“故障があっても(野球を)続けられたのはプロで活躍する桑田の姿があったから。桑田には感謝している”というコメントが紹介されていました。野球ファンにとっては貴重な番組だったと思いますよ」(スポーツライター)――田口さんがプロで投げる姿を見たかった!

桑田真澄“エースをあきらめかけた”天才ライバルを明かす

この記事が気に入ったら
をしよう

いいね!

@taishujpさんをフォロー

大衆のオススメ


オススメタグ


人気記事ベスト10


日刊大衆公式チャンネル


Copyright(C) 日刊大衆 Futabasha Publishers Ltd. All rights Reserved.