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ミスター高橋が明かした「『プロレス黄金時代』伝説の悪役レスラーたちの裏素顔」

[週刊大衆08月18日・25日合併号]

連載開始直前インタビュー シン、アンドレ、ハンセン、ホーガン!


ここ数年、70~80年代に熱狂を呼んだ新日本プロレス"ゴールデンタイムブーム"が続いている。"金曜8時プロレス黄金期"の同団体においては、アントニオ猪木を筆頭に長州力、藤波辰巳、タイガーマスクと、日本人スター選手が次々とスポットライトを浴びた。


彼ら日本人レスラーが敵役として迎え撃ったのが、外国人レスラーたちだった。タイガー・ジェット・シン、アンドレ・ザ・ジャイアント、ハルク・ホーガン……ブラウン管の向こうで暴れ回った怪物たちの姿は今も記憶に鮮明だ。

本誌では、そんな彼らを蔵出し写真と秘話で解き明かす『昭和黄金時代栄光の新日本プロレス悪役レスラー「知られざる素顔」』を次号よりスタートさせる。書き手は黄金時代の新日本マットでメインレフェリー兼外国人係を担当したミスター高橋氏。

連載開始を前に、当時を振り返るインタビューをお届けする。

「"あの試合"は、レフェリーとして2万試合以上を裁いた私にとっても生涯忘れられない特別な一戦です。アンドレとハンセンという、素晴らしいトップレスラー2人とレフェリーの私で、会場のお客さんの度肝を抜き、最高に興奮させることができたんですから」

こうミスター高橋が語る一戦とは、81年9月23日、田園コロシアムで行われたアンドレ・ザ・ジャイアント対スタン・ハンセンのシングルマッチだ。当時、新日本プロレスで絶大な人気を誇ったトップの外国人レスラーが激突。

いまだに「外国人対決史上最高のベストバウト」と語り継がれるこの試合のマットに、高橋はレフェリーとして立っていた。両者リングアウトののちの延長再試合中、高橋はアンドレのラリアットで吹っ飛ばされている。昏倒する高橋と、打ち鳴らされるゴング。

アンドレの「反則負け」裁定が下されたが、客席はド迫力バトルに興奮の坩堝(るつぼ)と化した。

「私は、レフェリーをしていた時代、ずっと体重100キロを保ち、レスラーと一緒にトレーニングして体を鍛えていました。テレビでは体の大きさがわからないのか、会場で実際に見たファンにビックリされることもありました。その私が、アンドレの一発でKOされてしまうのを見て"レスラーの力って、ものすごいんだ"と、ファンは思うわけです。ぶっ飛ばされて、反則負け、という結果に、会場の誰しもが納得したと思います」

高橋は、ユセフ・トルコに代わるレフェリーとして、72年、新日本プロレスに入団。英会話学校に通ったこともあることから、外国人レスラーの世話係兼レフェリー、後にはマッチメーカー(対戦カードや試合の流れ、結果を決める役割)としても活躍した。

数多くの選手と公私とも親しく接してきた、昭和プロレス黄金時代の"生き証人"である。

「あの時代、なぜ、プロレスがあれだけ多くの人々を熱狂させたのか。やっぱり猪木さんという卓越したスターを筆頭に、日本人対外国人の試合に迫力があって、お客さんを惹きつけたからですよ。プロレスは、地元のベビーフェイスが外国人のヒール、つまり悪役を迎え撃つところに本質があります。当時は、悪役と言ったらイコール外国人。国内における"悪役日本人レスラー"なんて、私の中では違和感があるし、見ているほうにしても感情移入しきれないでしょう? いい外国人を呼んで、日本人のエースと対決させるという図式こそが、プロレスの醍醐味なんです」

旗揚げ当初、全日本プロレスを率いたジャイアント馬場にアメリカの巨大プロモート組織であるNWAを完全に押さえられていた新日本プロレスは、外国人レスラーの招聘に苦労し、興行面でも苦戦を強いられた。

それを一気に変えたのが、「インドの狂虎」タイガー・ジェット・シンの登場だった。

「シンは今でも"潰れそうになっていた新日本を助けたのはオレだ"と言います。確かに、シンと猪木さんの抗争は日本中のプロレスファンを熱狂させ、新日本ブームを作ってくれた。だから、それぐらいのプライドは持って当然だし、私も、彼がいなかったら新日本は潰れていた可能性があると思っています」

当時、巡業に帯同する外国人レスラーの世話役でもあった高橋は、73年5月のシリーズ開幕直前、猪木から「新しい外国人を羽田空港に迎えにいってくれ」と頼まれ、こう脅された。

「タイガー・ジェット・シンという頭がおかしいのが来るから、気をつけて迎えにいってくれ。ホントにおかしいからな。ボンナカじゃないから(ホンモノだから)な」

何度も念を押された高橋は警戒しながら空港へ向かった。はたしてゲートから姿を見せたその人物は……。

「195センチ、120キロくらいの大きな体にビシッとスーツを着ている男だった。第一印象は、ガタイのいいビジネスマンだな、と。私の呼びかけに気がついたシンは自己紹介しながら、名刺を差し出したんです。いや、面食らいましたよ(笑)。レスラーから名刺をもらったのは彼が最初でしたね。猪木さんは"頭がおかしい"と言っていたのに、まさに紳士そのもの。実際、話をしてみてもレスラーらしくない、すごく丁寧な言葉遣いでした。聞いてみたらカナダのトロント地区ではベビーフェイスをやっていたと言う。"こんな男にヒールができるのかなあ"と不安になったほどです」


外国人専用バスにアンドレ席

出迎えを終えた高橋は、猪木に報告に向かった。

「"全然違うじゃないですか"と言ったら、猪木さんは"あ、そうか"なんて言って笑ってる。猪木さんは本当はわかっていたんですよ。シンを、ゼロからそういうキャラクターに"創り上げる"つもりだったということです。外国人係の私すらも騙してね(笑)。猪木さんのプロデューサーとしての才能はすごいですよ」

一方のシンも期待どおりの才能を発揮した。猪木の意図をそれ以上に理解し、「タイガー・ジェット・シン」になりきった。

「猪木さんは、一般人、つまりファンとは接触させるな、と言っていた。"ファンが近寄ってきたら、かまわねえから蹴飛ばしちまえ"と。これは試合会場や移動中だとか、"仕事場"においてレスラーを演じきるということだったんですが、シンはプライベートのときでも"握手してください"と寄ってくるファンを本気で蹴飛ばしてしまう。そこまでなりきっているんです。トラブルにならないよう、痛い目に遭ってしまったファンをなだめて謝るのは私の役割で、それはそれで大変だったんですが(笑)」

シンという男が、どれだけプロフェッショナルな意識を持ったレスラーだったかがわかる話だ。実は、若き日のスタン・ハンセンはシンのスタイルに大きな影響を受けたと、高橋は言う。

「ハンセンもシンと同じように、花道に登場したときから、すでに誰も近寄れない雰囲気を漂わせているでしょう?ブルロープをバチンバチンと振り回すのも、シンのサーベルにヒントを得たんだと思います。ハンセンはひどい近眼なので、私ですら近づくのが怖かったのですが(笑)。ハンセン自身、シンにずいぶん勉強させられたと言っていた。彼の試合を見て、どんなキャラクターを演じるべきか、考えた結果でしょう。やはりトップに上り詰めるレスラーは、そうした一流の感性を持っているものなんですよ」

外国人係は、巡業中につきっきりで彼らの世話をしなければならなかった。

「大きな幼稚園児を何人も預かっているようなものですよ(笑)。シリーズが始まる日の朝、まず東京の定宿だった新宿の京王プラザホテルのロビーに集合させます。旗揚げした頃の日本は高速道路が整備されておらず、バス巡業ではなく、東京駅や上野駅から汽車に乗って地方に向かっていました。それを引率するわけです。その後、高速道路網が発達し、70年代半ばには移動がバスに切り替わり、ずいぶん楽になりました。外国人専用のバスには、アンドレ・ザ・ジャイアントサイズの"アンドレ席"がありましてね。あの巨体ですから、普通の席より広々としたスペースを取ってある。酒好きのアンドレは、ここでビールやワインを四六時中飲んでいました。ビールですと平均で一日に大ビン50本くらい。後年、酒量がどんどん増えてコンディションに悪影響が出てしまいましたが……」

こうしてリング外で外国人レスラーと意思の疎通を図っていたからこそ、「リング上でのレフェリングをスムーズにすすめることができた」と高橋は語る。

「外国人レスラーと飯を食い、プライベートを含めていろいろな話をし、一緒にトレーニングをする。そうすると、"ああ、アイツは言わないけどヒザを痛めているんだな"とか、わかるわけです。この時間があったから、彼らも"俺たちを理解してくれているピーター(高橋の愛称)だから"と、信用してくれたと思うんです。いざ試合が始まれば、レフェリーとして試合を裁きながら、常に観客が何を考え、何を求めているのかを肌で捉えないといけない。レスラー同士の激しいファイトで、観客を興奮させる手伝いをするのがレフェリーとしての役割です。客席がちょっと沈んでいるな、と思ったら、レスラーの耳元で"場外で暴れちゃおうか"とか囁きます。すると、その選手は対戦相手を外に叩き出し、暴れて椅子でぶっ叩いたりする。観客は当然、ウワーッと興奮します。場内がヒートアップした頃を見計らって2人をリング内に戻す。場外乱闘がアクセントとなり、そこから会場の雰囲気はガラリと変わります。ただ、それをするにはレスラーとの信頼関係が不可欠。信頼がなければ、プライドの高い彼らが、こちらの言うことなどおいそれとは聞いてくれませんから」


一番大切な"うまさ"とは?

プロレスとは、昨今、誰でも理解しているとおりエンターテイメントスポーツだ。

観客を興奮させ、楽しませるためにレスラーは鍛え上げた肉体と技で白熱の攻防を見せ、フィニッシュへと向かっていく。いわば、過程を見せるスポーツであり、決められた"おおまかな流れ"に、レスラーの感性から生まれるアドリブが加わり、試合=作品が生まれる。

「私はレフェリーと同時にマッチメーカーも長らくやっていました。勝敗や試合の展開を、たとえば猪木さんが出る試合なら"フィニッシュを、こうしたい"といった意向を打ち合わせ、決まったら相手の外国人レスラーに伝えるんです。フィニッシュが決まっていると言っても、負けるほうも、そこまでは自分で考えて臨機応変に動かなければならない。これがレスラーに一番大切な"うまさ"なんですよ。下手なヤツとは"決められたこと"しかできない。うまい選手は、猪木さんを引き立たせて、観客を納得させ、自分をアピールしたうえで、フィニッシュ技を受けて負ける。あるいは、その週のテレビ放送で完結しないなら、観客の気を引きながらドラマを次週まで引っ張っていく。シン、アンドレ、ハンセン、ディック・マードック、ダイナマイト・キッドなど、一流と言われるレスラーはこうしたアドリブがみんな天才的にうまいんです。新日本プロレス黄金時代は、そうした頭の良い、センスのある外国人レスラーたちが支えていた。あの時期、悪役と言われる彼らの素顔に触れられたことは今でも私の宝物です。リングを下りれば、多くが心優しいナイスガイばかり。悪役レスラーたちのそんな素の姿を皆さんにお伝えできれば、と思っています」

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