世界中で愛される“2人の天才”二刀流・大谷翔平と八冠・藤井聡太の育て方の画像
写真はイメージです

 厳しい世界で頂点に立つ存在ながら、誰からも好かれる好青年――そんな偉才がいかに生まれたのかを追う!

 日本が誇る2人の天才二刀流・大谷翔平(28)と、八冠・藤井聡太(21)。

 彼らがこれほどの存在になったのは、けっして偶然ではない。“天才の素質”が開花するだけの理由が、彼らの、これまでの生活に隠されているのだ。“稀代の英雄”は、いかにして育てられたのか。今回は、その過程を解き明かそう。

■名前は源義経に由来

 まずは、大谷から。元社会人野球選手だった父・徹さんと、バドミントンの国体出場経験者の母・加代子さんとの間に、次男として生まれた。岩手出身であることはよく知られているが、実は両親はもともと、神奈川に住んでいたという。

「長男と長女が誕生したのをきっかけに、徹さんの生まれ故郷である岩手に引っ越したそうです。“狭いうちで暮らすより、自然に囲まれた広い環境のほうがいいと思った”と以前、加代子さんが語っていましたが、親の都合よりも子育てを優先した結果のようです」(スポーツ紙記者)

 多くの教育本を執筆し、10月には新著『「できない」を「できる」に変える大谷翔平の思考法』(アスコム)を刊行した、臨床スポーツ心理学者の児玉光雄氏は、こう分析する。

「自然豊かな地域というのがポイントです。大谷のマイペースな性格は、幼少期の環境が育んだのかもしれません」

 ちなみに、“翔平”という名前も、地元・岩手にゆかりのある源義経に由来するそうだ。

「名づけた徹さんいわく、身軽で美男子だった義経にちなんで、羽ばたくイメージの“翔”に、平泉の“平”を足して、翔平としたそうです」(前同)

 名は体を表す。岩手の自然の中、大谷は伸び伸びと成長。そして、兄の影響もあり、小学2年生にして、地元の硬式少年野球チーム『水沢リトル』への入団を希望する。

「たいていは、低学年なら安全な軟式野球で、硬式は高学年になってから。体も未熟ですし、まだ早いと考えるのが普通ですが、徹さんは、大谷の思いを尊重。いずれ高校では硬式を使うことになるからと、入団を許したそうです」(スポーツジャーナリスト)

 徹さんは、硬式野球をやらせるからには、全力でサポートすると、覚悟を決めたという。

「当時、徹さんは昼夜交代制で徹夜勤務もある仕事に就いていて、ハードな毎日。でも、大谷が入ったチームのコーチに志願して、子どもの野球につきあおうと決心したといいます。仕事を犠牲にしてでも……と口で言うのは簡単ですが、両立させるのは、かなり大変だったはず」(前同)

 コーチとなった徹さんは、自らに、ある鉄則を課した。それは「チームの子どもたちと、平等に接すること」。自分の子どもをひいきしないという父の思いは、息子を成長させたようだ。

「大谷は、コーチである父の立場を考え、“息子である自分が試合に出るためには、チームメイトが納得する、圧倒的な実力がなければいけない”という思いを常に持っていたそうです。そこで、自分の能力を客観視できる力が養われたのではないでしょうか」(同)

 ただ、コーチとして厳しく接する一方、徹さんは親子関係も大切にしたという。

「いったんグランドを離れれば、2人は親と子に戻る。移動の車中や一緒に入るお風呂では、普通の“親子の会話”をしていたそうです。グラウンドではコーチと選手、家では親と子という関係が、結果的に“オンとオフ”の切り替えの訓練になっていたようですね」(前出のスポーツ紙記者)

 その一環か、大谷家では、夕食は必ず、家族全員で食卓を囲んでいたという。

「食事中の家族の話題は、ほとんどが野球。家族全員が野球という同じ趣味を共有していたせいか、大谷家の3人の子どもはみんな、反抗期らしい反抗期がなかったそうです」(前同)

 前出の児玉氏も、「家族での夕食」は、子育てによい習慣だと語る。

「食卓を囲む習慣を持った子どもは、両親や親戚など、大人との接点が増えて、さまざまな年代の意見や考え方を吸収できます。一人で食べたり、同年代の子たちと食べたりするより、いろいろな知識が身につくので、発育にとてもいいんです」

  1. 1
  2. 2
  3. 3
  4. 4
  5. 5