“をどる”ということは常にプリミティブな”遊び”だと思っている―『大駱駝艦』主宰 麿赤兒

 

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早速ですが、テーマが「おとなの自由時間」ということで、今ハマっていること、趣味だったり愛着のあるものだったり、についてお伺いしたいと思います。

趣味といわれると困るんですけれども、僕は常に”をどる”ということをしている、それが自由な時間の過ごし方、ということでしょうか。まぁとにかく、寝ても覚めても、寝返りを打っても、踊り三昧ですな。それが趣味と言えば趣味であり、仕事と言えば仕事かな(笑)。
四十数年、ハマっていますから。
子どもの頃からのすべての記憶、思い返すとどんなバカなことでも踊りの財産になっている。私は小学校5年まで、三重県津市の贄崎町というところでして、生贄の贄、なんていう字ですから、地名におどろおどろしい印象があったんでしょうかね。寂しい限りで、いまはもうこの町は存在しないんです。
その町で過ごした子供時代、夏の炎天下に鼻を垂らして真っ黒けになって走り回り、太陽に消炭のように焼かれて歩いたその時間、生きてるか死んでるかという意識もなく、そういうプリミティブな状態が踊りの状態に近いんじゃないか、と思いますね。
そのときはグジュグジュになって遊びまわっているだけで、当時は踊りの概念なんていう難しいことは考えずにいたけれどね。踊りなんていう情報もないから、今思えば、ということではあるけれども。
そういった意味では、ガキの頃っていうのは一番踊りの財産になっている。“家の不幸”“ワケあり”とかね、そういったこと全部含めて、踊りの財産として若い人と創りあげていく、という、それが今に続く楽しみになっているのではないかな。
ノスタルジーだけで置いておくのではなく、どう財産にしていくか。そのプリミティブな感覚を現代社会にどう通じさせるか、というのは難しいけれど、
そういった感覚を突き詰めていくと、ガキの頃だけじゃなくて、縄文時代や石器時代までどんどん遡っちゃう。そういうところの生き方みたいなものを考えるのは楽しいね。
もはや、自分の中の妄想なのかもしれないけれども。

 

 

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