東日本大震災から丸4年――

今から4年前の3月11日に東日本を襲ったM9.0の大地震。激震と、その後の津波で"機能停止状態"の大損害を受けた福島第一原発は今もなお、廃炉作業の真っ只中にある。
地元住民や現地作業員が1F(いちえふ)と呼ぶそこで、作業員として働きながら、その様子を描き続けるマンガ家・竜田一人氏に、"福島第一原発の今"を聞いた。

昨年4月、2012年6月から同年末まで原発作業員として従事した経験を綴った漫画『いちえふ 福島第一原子力発電所労働記(1)』を上梓した竜田氏。同作は国内メディアだけでなく、海外でも特集をされるなど、大注目を浴びた。
「単に、ちょっと変わった"職場"で働いているだけです」
と、淡々と話す竜田氏は、2014年の夏と冬に約1年半ぶりの福島第一原発入りを果たし、作業員生活を再開。

そこでまず目を引いた大きな変化が、東日本大震災発生時、水素爆発を起こして大破し、瓦礫まみれになっていた「3号機原子炉建屋」だという。
「3号機の上の瓦礫が、見事に綺麗になっていましたね。あそこは基本的に人が登れない場所で、無人の重機を遠隔操作しながら膨大な瓦礫を片付けたんです。すごいことですよ。そして4号機には建屋カバーまでついて、燃料の取り出し工程に入っていました。工事が着実に進んでいることが目に見えてわかり、嬉しくなりました」(竜田氏=以下同)

変化は現場で働く作業員の数にも及ぶ。
「前回は、一日の作業員数が約3000人だったのが、今では6000人にのぼるといいます。休憩所は、時間帯によっては座る場所もないくらい混んでいますよ」

多くの作業員で廃炉へと向かっている1Fなのだが、変化は原発の外にもあったという。事故後、許可車両以外の通行が規制されていた海沿いの道、国道6号線が、14年9月15日から通行可能となったのだ。
「今まで、福島第一原発を挟んで北と南で完全に分断されていたのが、行き来できるようになったのは嬉しい変化ですね。一方で、行き交う人が増えることで、空き巣などの犯罪を警戒する声も現地では聞こえてきます。また、"車が放射線の高線量エリアを通過するから放射能汚染が広がる!"なんて騒いでいる人もいるようですが、そういうことを言うのはたいてい遠方に住む人。私自身は地元民からは一度も聞いたことがありません。むしろ、自主避難していた人が徐々に戻ってきている、という話は聞きます」

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