美和 新緑の5月です! さわやかな青空の下で身体を動かしたいですね。宗男先生、運動は何かなさってますか?

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宗男 私は、もっぱらスポーツジムで汗を流してますね。行ける時にはわずか1時間でも行ってきますよ。ゴルフをやり始めたのは昨年の夏からです。ずっと仕事一筋でしたからね。

美和 なかなか健康的ですね! さて、来たる2020年、東京オリンピックが開催されます。前回の1964年の東京オリンピックの時は、宗男先生はどんな感じでしたか?

宗男 当時、北海道の足寄高校の2年生でした。

美和 宗男先生の事ですから、当時から大きな夢をもっていたのでは? そして、オリンピックが開催される東京にも憧れを抱いていたのではないでしょうか?

宗男 東京オリンピックが始まる1カ月前に修学旅行で東京に来ましたね。“人の多さ”にまず驚いた。それで二重橋や皇居なんか見てね。あの頃、歌声喫茶が流行っていて新宿に行きました。当時「ラ・セーヌ」だったかな。有名な歌声喫茶あってねぇ。話のタネに行ったものです。

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美和 宗男先生、その頃はランプで生活していたのですもんね! 夜に勉強する時は(笑)。

宗男 いや、ランプ生活は昭和36年までですよ(苦笑)。だからオリンピックのあった高校生の時は電気ついていましたよ! ですからテレビでオリンピックも観ましたよ。それと市川昆監督の記録映画「東京オリンピック」あれを観て感激したもんだなぁ。

美和 黒澤明監督が突然降板してしまい、代わりに引き受けたのが市川昆監督。観客動員数を塗り替えた大ヒット作品となったそうですね。

宗男 当時のオリンピック担当大臣だった河野一郎さんがクレームをつけた。そして「映画『東京オリンピック』は記録映画か? それとも芸術作品か?」と日本中の論争となりました。クレームをつけた方も、今考えたら“頭に虫が入って”いたんだろうなぁ・・・。

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美和 宗男先生にかかると、昭和の大物政治家の頭にも“虫が入って”いるのですね(笑)。当時は高度成長が始まり、日本中が大きな夢を抱えていました。20世紀のオリンピックは“平和と豊かさの象徴”でしたが、ここに来て様々な問題が起きています。2018年に韓国の平昌で行われる予定の冬のオリンピックは、財政危機を引き起こすという事で開催が危ぶまれているそうです。日本でも、震災の復興問題がまだ片付いていないのに、オリンピックか?などという声も・・・。

宗男 決めた以上は、約束を守るのが民主主義ですよ!戦後、日本は東京オリンピックで“世界の仲間入り”をしたわけですよ。日本人の公衆道徳だってオリンピックを機に正されていった。昔は「メードインジャパン」なんて馬鹿にされていましたよ。 東京オリンピック、そして昭和45年の大阪万博で、名実ともに“世界の一流国”に日本はなったんです!!
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