99年6月、藤波は一大責務を負うことになる。新日本の社長に就任したのだ。同年1月4日には、小川直也による橋本真也へのセメントマッチがあったばかり。04年の退任までの5年間は、総合格闘技ブームの高まりもあり、新日本は大変な苦境に陥った。

藤波 荒波の中の5年間でしたね。まず猪木さんが新日本の株主でありながら、別のところで団体(UFO)を起こしてしまう。あれがなければ、もうなにもなかった。小川も新日本の闘いで、起爆剤になればいいんだけど、むしろ核兵器となってしまったというか。

――00年末には、橋本さんの解雇というのもありました。社長としての藤波さんの、「苦渋の決断」という言葉が印象に残っています。

藤波 引退扱いになった橋本を復帰させることと、小川と橋本を再戦させるっていうのが、僕が社長になった時の最初の仕事だった。橋本の即引退試合( 00年4月7日)からの復帰戦も自分が務めた( 00年10月9日)。橋本はもう新日本内に居場所がないわけ。だから、「ZERO」(後のZERO―ONE)という新日本内の別組織を作ったんだけど、そこの糸を、彼は完璧に切っちゃった。あくまでその団体は新日本内のものなのに、外に別の関係を作ってしまったんですよ。それで解雇せざるをえなくなったんです。

――02年1月には、武藤、小島聡、ケンドー・カシンの全日本移籍もありました。

藤波 この時期は、現場サイドとフロントサイドがもうバラバラで。新日本内も最悪な時期だった でしょうね。人の心の中までは見えませんよ。

――02年5月には長州さんが退団、そしてWJを旗揚げします。

藤波 この業界に入って、力がついてくると、みんなお山の大将になりたい。そういう感じに捉える部分もありましたよ。いまは違うでしょ。業界の情勢、状況がわかってきてるから。みんな賢くなったのか……。


※全文の一部分を抜粋。全編は本誌「逆説のプロレス vol.2」にてお楽しみください。

取材◎若瀬佐俊

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「新シリーズ 逆説のプロレス vol.2」(双葉社スーパームック)より引用

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