『内村プロデュース』(テレビ朝日系、2000年~2005年)
有吉弘行(41)
猿岩石としてのヒッチハイク企画で大ブレイクしたものの、その数年後には月収ゼロに転落した有吉は、各企画でやたら裸にされたり、内村たちの傍若無人な扱いに翻弄されていた。しかし大喜利ではダジャレを得意として、共演のさまぁ~ずより高得点をあげるほどだった。それは、のちに「毒舌王」の異名を得るまでの大きなステップとなっていて、自著でも「今、僕が芸人を続けられているのは、『内P』のおかげです」と綴っている。

ふかわりょう(41)
シュールなネタのピン芸人として活躍していたが、他の芸人と絡むバラエティ番組を得意としていなかった。内村には番組開始当初から呼ばれ、テレビで全裸になるなど、それまでの彼の芸風からは想像できない企画を体験。のちのインタビューで「最も大切なそこ(芸人としての面白み)を内村さんに作り上げていただきました」「一番鍛えていなかった部分を鍛えてもらった」と語っている。

バナナマン-設楽統(42)・日村勇紀(43)
当時、まだテレビ出演が少なかった2人だったが、設楽は大喜利の実力を発揮し、日村が「子供の頃の貴乃花」のモノマネ芸で注目を浴び、その後の多数のバラエティ番組への進出の下地となった。

土田晃之(43)
お笑いコンビのU-turnを解散したあと、レポーター業などで食いつないでいた土田。せっかく内村に呼ばれても、芸人としての過酷な企画ばかりの番組に「あそこは戦場だぞ!」と悲鳴を上げ、「出演の度に体重が減る」と訴えていたが、いつの間にかファミリーのポジションを得て、その後の雛壇芸人としての成功につなげている。

TKO-木本武宏(44)、木下隆行(43)
4度目の東京進出に挑戦した2人は、若手芸人ネタ見せ企画で初登場。若手なのに芸歴が長いために妙にこなれすぎている芸風や、木下のドラえもんのモノマネ芸がウケて、出演回数を増やしていく。ただし、ブレイクしたのは、この後の5度目の挑戦だった。


この他にも、キャイ~ン、出川哲朗、ビビる大木、TIM、我が家、はんにゃ、ロッチ、狩野英孝、しずる、ジャルジャル、フルーツポンチ、柳原可奈子など、多くの芸人が「ウンナン」の2人、特に内村によって見出されている。それは「旬だから」といった理由で起用するのではなく、じっくり芸人に光を当て、その内面からにじみ出る面白さを引き出していく、厳しくも優しい、芸人としての目があるからなのだろう。

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