天田選手との付き合いが深くなったのは本当に最近で、2012年からです。それまでも当然、会場で会釈などは交わしていましたが、それ以上ではありませんでした。チャクリキの若手ヘビー級選手が、アントニオ猪木会長の主宰するIGFという団体にレギュラーで出場しており、日本人の強豪選手と対戦の経験を積ませたいと考え、天田選手に対戦のオファーをしました。

 天田選手からの条件はひとつでした。「この一試合だけじゃなく、今後も試合を入れて貰えませんか?」当時、ノブ ハヤシ選手は未だリング復帰まで遠く、ヘビー級選手がほとんど居なかったチャクリキ・ジャパンにとっても嬉しい提案でした。私は快諾しました。

 7月のIGF初出場に続いて、9月にはピーター・アーツ選手と組んでプロレスリングのタッグマッチに出場という仰天のオファーが来ました。それでも「ピーターやジェロムがトライしているのを見たら、僕もやってみようと思いました」と、プロレス初参戦を意に介さず、天田ヒロミ&ピーター・アーツという夢のタッグチームを実現しました。こうした夢のタッグチームは天田&ジェロム・レ・バンナ、天田&レイ・セフォーと次々と実現しました。こうした経験をしたK-1日本人選手は恐らく天田選手一人だけでしょう。

 また、この年の10月も決して忘れる事が出来ません。新生K-1の両国大会に天田選手をブッキングした後、IGFからも異種格闘技線のオファーがありました。天田選手とミーティングをし、この勢いを大事にしようという事で両方出場する事に決めました。10月14日にK-1両国大会に出場し、翌15日はセコンド嚴士鎔選手の結婚式、その翌日16日がIGFで異種格闘技戦と誰も経験した事が無いような濃密なスケジュールをこなしました。この3日間で天田選手と私の距離も縮まった気がします。

 私も、セコンドの嚴選手もふらふらでしたが、一番キツい筈の天田選手は終始にこやかで「こうしたキツい試合こそ、僕の待ってた通りですよ!」と笑っていました。改めてその気持ちの強さに敬服しました。

 天田選手の試合前の雰囲気はピーター・アーツやブランコ・シカティックに近いです。次第にピリピリして無口になり、試合に集中してゆきます。この時には周りは少し距離を空けるなど近寄り難い雰囲気となります。ノブ ハヤシ選手やジェロム選手は一瞬で気持ちを切り替える事が出来るため、試合近くまでリラックスムード。試合直前に顔つきが変わります。一概にどちらが良いとかは無いですね。こればかりは選手が長く親しんで来た気持ちの上げ方が一番だと思います。

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