最高額はいくら? 日本プロ野球選手の歴代年俸ランキング!の画像
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 日本のプロ野球、日本野球機構(NPB)傘下には、12球団の支配下選手各70名に育成選手を加え、合計約950名の選手がいる。そのうち、各球団が1軍登録できるのは28名で、さらに実際に試合に出場できるのは、試合前に指名された最大25名だ。その中で主力選手になれば大台の1億を超えることも可能だし、逆にスタメン入りどころか、2軍落ちギリギリの選手だと、野球協約で定められている、1軍選手の最低年俸、1500万円に甘んじることになる。そんな厳しい競争を勝ち抜き、年俸5億円を超えた歴代の日本人選手を振り返ってみよう。(※年俸の金額はすべて推定)

佐々木主浩(47)=6億5000万円(2004、2005年)……1992年から横浜の抑え投手として、速球と落差のあるフォークボールを武器に活躍していたが、1994年のキャンプ時にヒジを故障して手術。シーズン前半を棒に振ったものの、夏場に一軍復帰してからは再び抑えになり、9月18日の広島戦では7者連続三振を記録する復活劇を見せ、「ハマの大魔神」というアダ名が定着した。2000年からメジャーリーグのマリナーズに移籍したが、2004年に現在も歴代最高年俸となる6億5000万円の2年契約を結び、横浜に復帰した。しかし、その2年間は怪我の影響などで期待された投球はできず、現役を引退した。

松井秀喜(41)=6億1000万円(2002年)……1993年に巨人に入団。1995年には22本塁打を放ち、初めてのベストナインを獲得。1996年には高卒選手ではイチローと並ぶ、史上最短(当時)の入団4年目で1億円選手の仲間入りを果たした。2001年のシーズン終了後、FA権獲得が目前に迫り、下交渉では球団から5年総額50億円という大型複数年契約を提示されたが、これを断ってプロ野球史上最高年俸(当時)となる、6億1000万円で単年契約した。2002年は三冠王は逃したものの、本塁打王、打点王、最高出塁率でシーズンMVPを獲得。11月1日にFA権を行使してメジャーリーグへの挑戦を表明し、12月19日にヤンキースと3年で総額2100万ドル(当時約25億4100万円)で契約に合意した。

阿部慎之助(36)=6億円(2014、2015年)……2001年に巨人に入団すると、山倉和博(60)以来23年ぶりの新人捕手開幕スタメンとして出場し、その試合で初打席初安打初打点を含む4打点をあげた。2007年にはチームの主将に任命され、史上4人目の捕手登録選手のシーズン100打点を達成。2008年に行われた北京オリンピックの野球日本代表予選では、最優秀打者賞・MVPを獲得し、本大会でも8試合に出場。2013年はリーグ優勝に加え、3年ぶりに30本塁打を記録するなど、各部門で高い数字を記録したことから、球団から6億2000万円を提示されたが、日本シリーズでの不振などを理由に辞退。6億円で契約したと言われている。

金本知憲(47)=5億5000万円(2007、2008、2009、2010年)……1992年に広島に入団して、1999年に初めての全試合出場を果たす。2000年に4番打者に抜擢されると、日本プロ野球史上7人目となるトリプルスリー(打者が同一シーズンに「打率3割以上・本塁打30本以上・盗塁30個以上」の成績を記録すること)を達成し、ベストナインを受賞した。2003年に阪神に移籍して、2006年には904試合連続フルイニング出場の世界新記録を達成。オフの契約更改では、当時の現役日本人選手では最高年俸の5億5000万円で契約した。

イチロー(42)=5億3000万円(2000年)……1991年にドラフト4位でオリックスに入団。1994年の公式戦開幕直前の4月7日、登録名を本名の「鈴木一朗」から「イチロー」に変更。レギュラーとして活躍するようになり、4月末から1番打者に定着して、5月から8月にかけて、日本プロ野球新記録となる69試合連続出塁を記録した。1998年には日本プロ野球史上初となる5年連続首位打者を獲得して、オフに年俸5億円で契約。1999年に日本プロ野球史上最速となる757試合目で通算1000本安打を達成し、5年連続最多敬遠を記録するなどして、年俸が5億3000万円に上がった。2001年に野手としては日本人初のメジャーリーガーとして、マリナーズに移籍した。

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