三山ひろし(演歌歌手)「紅白では、歌よりけん玉のほうが緊張しました(笑)」演歌を地でいく人間力の画像
三山ひろし(演歌歌手)「紅白では、歌よりけん玉のほうが緊張しました(笑)」演歌を地でいく人間力の画像

 去年は、2年連続となる『紅白歌合戦』の舞台に立たせて頂きました。そこで、自分の故郷である高知を歌った『四万十川』を歌わせてもらい、けん玉も披露することができた。願ったり叶ったりの最高の1年でした。

 正直言うと、歌よりもけん玉のほうが緊張したんですよね(笑)。1年の締めくくりとなる場で、失敗したら縁起悪いし、16年、全部失敗だったみたいになっちゃいますからね。これは、絶対に落とせないと思って、猛練習しました。

 けん玉って、年齢も性別も関係なく誰もが楽しむことができるんですよね。演歌ファンの方は年齢層が高めなので、そういう方とどうやってコミュニケーションを取ればいいのかを考えたとき、けん玉が思い浮かんだんですよ。それからもうハマちゃって、けん玉を常に持ち歩いて、練習していますね。

 紅白の舞台で、けん玉の魅力を少しでも知ってもらえたのかなと思うと、嬉しかったですね。あと、演歌歌手になることを後押ししてくれた祖母が喜んでくれたのが、何よりでした。僕が演歌歌手になったのは、祖母の影響なんですよ。

 祖母は演歌が大好きで、小さい頃から、たくさん聞かせてくれていたんです。そんな環境で育ったから、小さい頃から、歌手になりたいなと思っていたんですが、うちは母子家庭で貧乏だったんですよね。だから、高校卒業後は、少しでも家計の足しになればと思って、ガソリンスタンドに就職したんです。

 でも、歌手になりたいという思いがずっと、くすぶっていて、そんな煮え切らない状況だったときに、祖母が背中を押してくれたんです。24歳のときに上京したんですが、周囲は“バカじゃないの?”っていう目でしたけどね(笑)。確率的には成功しないほうが大きいし、うちは貧乏でしたから余計ですよ。だから、故郷を捨てるつもりでした。弟がいるんですが、“お兄ちゃんはいなかったことにしてくれ”って言って。何をそんな前時代的な話をしているんだって笑われるんですが、本当にそれくらいの覚悟でしたね。

 でも、故郷を捨てて、一人でやっていくんだと決意して東京に来ても、絶対に誰かのお世話になるんですよ。最初に住んだのが、西葛西だったんですが、その家を紹介してくれたのが、カラオケサークルの代表の方。

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