高校野球史に残る「春のセンバツ甲子園」伝説の白球事件簿の画像
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 球春到来。今年も春センバツ、選抜高等学校野球大会が大いに盛り上がっている。そこで今回は、夏とはまた違った趣きのあるセンバツから生まれた数多のドラマの中から、特に印象深かった名場面を厳選。“高校野球大好き芸人”としても知られるピン芸人・かみじょうたけし氏とともに振り返っていきたい。

「センバツと聞いて、僕自身が真っ先に思い出すのは、やっぱり1989年の決勝。愛知の東邦対大阪の上宮の一戦ですね。何しろ決勝の大舞台でのあんなに悲しい結末は、後にも先にも、あの試合だけ。“ボールが逃げていく~”っていう当時の実況も、すごく印象的でしたしね」(以下同)

 かみじょう氏が「悲しい結末」と語るのは、元木大介(元巨人)や種田仁(元横浜他)ら、のちのプロ選手を4人も擁した上宮が、1点リードの延長10回裏2死走者なしから喫した逆転サヨナラ負けのこと。一、二塁からのセンター前ヒットで同点に追いつかれた直後。オーバーランの二塁走者に対する挟殺プレーで起きた、セカンド、ライトのよもやの後逸によって、上宮は初優勝まで“あと1人”から一転、茫然自失の状態へと叩き落とされることになったのだ。

「劇的な幕切れという意味では、97年の1回戦。奈良の郡山と北海道の函館大有斗の一戦も、ぜひとも挙げておきたいところです。1点を返されて、なおも満塁で迎えた郡山リードの9回裏2アウト。そのゴロを処理すれば試合終了という場面で、2年生だったショートの村田(創)君がトンネルをして、それが逆転サヨナラにつながった。その場にうずくまったまま、動けなくなっていた彼の背中は、いまだに忘れられないですからね」

 だが、物語はここで終わらない。翌春も甲子園に帰ってきた郡山は、その初戦で同じ北海道勢の北照と奇しくも対戦。前年の雪辱を見事に果たし、ベスト8にまで進出する奮闘を見せることになった。

「北照戦も1点差のまま、最終回を迎えてね。しかも最後の打球が、またショートの村田君のところに飛んだんです。でも、このときは成長した彼が、しっかりさばいてアウトにした。あれには見ているこっちも、力が入りましたよね。ちなみに、その郡山は松坂(大輔=現・ソフトバンク)を擁する横浜に準々決勝で負けたわけですが、続く準決勝の横浜対PL戦では、今も語り継がれる夏の“死闘”へとつながるドラマもあったんです」

 この春、PLは2点リードで迎えた8回表に、本塁に突入した走者に送球が当たるという“不運”もあって、2対3と惜敗した。だが、一見“不運”と思えたこのワンプレーが、実は横浜の“作戦”であったことが、雪辱に燃えるPLナインの闘志に火をつけることにもなったという。

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