朗読詩人 成宮アイコ エッセイ
「愛せない日常と夜中のイヤホンで流れるアイドル」

 朗読詩人の彼女が、大好きなアイドルのことと、なかなか好きになれない自分と生活のことを綴る連載。その第1回は、ファンとアイドルとを繋ぐ切符でもある“特典券”の偽造についてです。

第1回「特典券偽造問題」を聞いて思ったこと

 はじめまして、朗読詩人の成宮アイコです。

 普段は、「メンタルヘルス」や「生きづらさ」についての文章を書いたり、詩の朗読のライブをしています。DV祖父とフェードアウト父のおかげで、不登校やうつなどの生きづらさ系テンプレートのような人生を歩んできましたが、「アイドル」の存在は、そんな日々をいつも支えてくれました。

 さいきん、アイドル現場での「特典券偽造問題」をたびたび耳にすることがあり、すこし思うことがあります。

<前向きなものはみんな嫌い、のはずだったけど>

 むかしから、自己啓発のたぐいがとても苦手です。

 虹の写真やイラストとともに、「夜はきっとあける」だとか、「やまない雨はないよ」なんて書かれたポストカードを見ると、どうしても心のなかに暗雲がたちこめて、「たとえ明日が来たとしても、わたしの気持ちは今日のままだし、明日も明後日もそのつぎもずーと今のまま同じだよ!」という気持ちになってしまったりします。なぜなら、毎日がぜんぜん大丈夫じゃないからです。

 思いつく限りの罵声をまきちらす祖父と、すっかり家に帰らなくなった父を最高に憎んでいた(と同時に愛されたくて頭がおかしくなりそうだった)高校生のころ、モーニング娘。にドハマリしました。

 思えば、小学生のときのセーラームーンからはじまり、「明るくて泣き虫だけど強い女の子」のことが大好きでした。

 DV祖父が毎日絶好調になげつける言葉の暴力をそのまま受け止め、醜形恐怖症をわずらっていたため、学校の休み時間ごとにトイレの鏡の前で前髪をなおして、「この状態は人に見られても大丈夫だろうか、わたしはどのくらい気持ちが悪いだろうか」と思いつめて廊下に出ては、人とすれちがう風でまた髪がぐちゃぐちゃになった気がして、自分の容姿が不安になり、トイレに戻ってしまう、という日々を過ごしていました。

 かわいくなくて人の前で素直に泣けなくてすぐに心がへし折れる弱いだけの自分は、セーラームーンは正反対です。

 キラキラしている女の子はクラスにもいました。しかし、学校生活には子供たちにしか見えないカースト制度が存在していて、セーラームーンタイプの女の子は明るくてまぶしい上のカーストにいるため、最下層のわたしにはとても話しかけられるような関係ではありません。その子が持っていた文房具を真似して、こっそり家で使ってみたりすることで、少しだけ自分も近づけたような気がしました。なぜ家でこっそり使うかというと、かわいい女の子と同じものを学校で使う勇気は、とてもなかったからです。

 わたしにとってアイドルの女の子は、自分なんかが(つい、“なんかが”と思ってしまう)応援することが許され…許されるどころではなく、むしろ応援することを喜んでもくれる特異な存在でした。

 モーニング娘。の「I WISH」をはじめて聴いたときのことは、今でもよく覚えています。

 「晴れの日があるから そのうち雨も降る 全ていつか納得できるさ」

 だいたい、励まそうと前のめりで言葉をかけてくれるひとや、文房具屋さんのポストカードの棚で人気だったグッズや、苦手な自己啓発は、この歌詞とは逆でした。どうしようもなく落ち込んでいるときに、「雨はいつかやむよ」なんて言われても、「わたしの雨だけは今日も明日も、あさってもそのさきもずーっと雨でやみそうにないです!」と、つい思ってしまうのです。

 それなのに、この曲は晴れがある前提で雨の話しをしてくれている。かわいい女の子たちが、明るく歌いながら、笑顔で雨の話しをしてくれるのです。しかも、「(まだ納得はできないけど、それでも)いつか納得できるさ」と、諦めでも強がりでもない、許容をしながら。

 いつも晴れてキラキラと見えるアイドルの人生にも、クラスメイトの人生にも、そのうち雨が降る日だって来る。知らず知らずのうちに誰かがこうして泣いたり落ち込んだりしているんだな、と思うと、「誰の人生もちゃんと美しい…かもしれない」とすら感じるようになったのです。

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