新年、明けましておめでとうございます。2023年、卯年の始まりです。

 ジョッキーになって僕が卯年を迎えるのは今回が4度目。1度目は……競馬学校を卒業し、騎手人生をスタートさせた1987年になります。

 初騎乗は、3月1日の阪神4R。武田作十郎先生がデビュー戦のために用意してくださったのは、渡辺孝男オーナーのアグネスディクターという鹿毛の牡馬。普通に乗って走ってくれば勝てるというほど、完璧に仕上がっていた馬でした。

 ところが、結果は2着。ディープインパクトと挑んだ凱旋門賞をはじめ、“もしも、時間が戻せるなら、もう一度”というレースがいくつかありますが、間違いなく、このデビュー戦も、その中の一つです。

 初勝利は3月7日、阪神3Rのダイナビショップ。初めての重賞勝利は、10月11日の京都記念で、トウカイローマン。技術的にはまだまだ未熟で、思い出すと苦笑いしかできませんが、それでも当時は、あれが100%でした。

 2度目の卯年は、スペシャルウィークをパートナーに、ダービー制覇という大きな夢をかなえた翌年。エアグルーヴの引退式で幕を開けた1999年です。

――ダービージョッキーと呼ばれてみたい 騎手を志したときから、ずっと、そう思い続けていましたが、人というのは欲深い生き物(笑)。こんなにいいものなら、もう一度味わいたいという思いがあふれていたような気がします。

 連覇の夢を託した相棒は、アドマイヤベガ。後方4番手という位置取りに、ヒヤヒヤされた方もいたと思いますが、すべて予定通り。最後の最後に、テイエムオペラオー、ナリタトップロードを差し切ってくれました。あの瞬間のことは、今でも鮮明に覚えています。

 3度目の卯年は、2011年……。この年、僕は、闇の重さに押し潰されそうなほどの息苦しさを感じていました。

 前年の落馬事故で、左鎖骨遠位端骨折、腰椎横突起骨折、右前腕裂創という大ケガを負い、その影響から勝てない日が続き、「武豊は終わった」とまで言われた時期でした。

 競馬は結果がすべて――。勝てばいい馬が回ってくるし、負ければクビを切られるシビアな世界です。

 当時のことは、あまり思い出しくないのですが(苦笑)、どんなときも、競馬が嫌いになったことは一度もありませんでした。

 大事なのは、できることを一つずつやり続けること。数え切れないほど多くの馬に乗せていただき、その馬たちに教えてもらったことが、今も変わらず、僕の支えになっています。

 楽しみな馬がそろっている4度目の卯年。今年は、どんなことが待ち受けているのか。ワクワクしてきます。昨日より今日、今日より明日。少しでもうまくなるために、全力を尽くします。

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