競馬学校の1年先輩、2期生の熊沢重文騎手が、今月11日付で、ターフに別れを告げました。
熊沢さんの引退で、JRA競馬学校の先輩は、1期生のヨシトミさん(柴田善臣騎手)と、2期生のノリさん(横山典弘騎手)、2人だけ。小牧(太)さんと僕を加え、“5爺”とネーミングされたチームも、“4爺”になってしまいました(笑)。
平地と障害の“二刀流”で活躍された熊沢さんとの思い出は、やっぱり、1991年の36回有馬記念です。
このレースで僕のパートナーを務めてくれたのは、単勝1.7倍の圧倒的な1番人気馬、メジロマックイーン。僕が“どの馬より、この馬が強い”と信じて疑わなかったヒーローです。
ツインターボの逃げでスタートしたレースは、体内時計を確認するまでもなく、超ハイペースの展開に。
中団8番手でじっくりと脚を貯めたマックイーンは、バテ始めた先行集団をうまく交わしながら前方に進出。4コーナーでは完全に射程圏内に入っていました。
「勝てる!」
最後まで気を緩めることはできませんが、このペースで、この位置にいるマックイーンを負かすことのできる馬はいない……はずでした。僕は、勝利を確信していました。
ところが、外側に進路を取った僕とマックイーンの内から1頭、スルスルと伸びてきた馬がいたんです。5枠8番の黄色い帽子。ブービー人気のダイユウサク。その馬に騎乗していたのが、熊沢さんでした。
「ダイユウサク黄色い帽子も伸びてきた! これはびっくり、ダイユウサク!」
アナウンサーがマイクに向かって叫んでいましたが、僕にとっても、それは“まさか⁉”の出来事でした。
――競馬に絶対はない
言葉としてではなく、悔しさとともに、僕の中に刻み込まれた瞬間でした。
■騎手という仕事はケガと隣り合わせ
熊沢さんは、昨年2月、落馬事故の影響で第2頚椎を骨折。ボルトで固定したまま、今年2月に復帰を果たし、3月には勝利も収めましたが、最後は「ふだんの生活で転んでも、打ちどころ次第では危ない」とドクターストップがかかり、ムチを置く決心をされたということです。
ジョッキーは常にケガと隣り合わせの仕事です。いつ、自分に襲いかかってくるか分かりません。それでも、馬に乗るのは楽しいから、馬に乗るのが好きだから、僕ら騎手は、恐怖と戦い、恐怖を克服するところからスタートします。
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