暦が、また一つ進み、2023年も師走を残すだけになりました。

 振り返ると、年が明けたときは、まだコロナ禍で、競馬場への入場も制限されていました。

 ウイルスが消えたわけではないので、うがい、手洗い、消毒は必須ですが、競馬ファンで埋まったスタンドを見ると、ホッとするような、懐かしいような……なんとも言えない気持ちになります。

 一日も早く、あの光景を自分の目で見たいと、ケガの回復に努めてきました。しかし、思いは届かず……。土曜阪神のG3チャレンジCと、日曜に中京を舞台に行われる予定のG1チャンピオンズカップへの騎乗を断念することにしました。

 骨に損傷のない筋挫傷は、治るときも急……という特性に一縷の望みを持っていましたが、僕の個人的な事情で、大事な騎乗依頼の結論をギリギリまで引き延ばすことはできません。無念ですが、ここは、1歩、2歩、3歩引いて、療養に専念することにしました。

 騎乗依頼をくださった陣営の方々、期待してくださったファンの方には、ご迷惑をおかけしますが、しばしの猶予をください。

 必ず元気になって、帰ってきます!

 騎乗依頼をいただいたチャレンジカップは、1950年に創設された、長い歴史を持つレースです。

 昨年のレースが73回。勝利ジョッキーは、福永洋一さん、父・武邦彦、河内洋さん、南井克巳さん、安藤勝己さん、熊沢重文さん、福永祐一師、角田晃一師と錚そう々そうたるメンバーが名前を連ねています。

 僕が初めて、このレースを勝ったのは、デビュー2年目の88年。パートナーは、タニノスイセイでした。

 2度目は93年で、ウィッシュドリーム、3度目が翌94年のツルマルガール。4勝目が96年で、パートナーは、サンデーサイレンスの初年度産駒となるマーベラスサンデーです。目のV狙ったG1は騎乗できず

 翌97年の宝塚記念で、バブルガムフェローとの競り合いをクビ差で制して、栄冠を手にした宝塚記念は、会心のレースでした。

 5勝目は、04年のスズカマンボで、6勝目は、14年のトーセンスターダム。その後は、18年のマウントゴールドの2着が最高で、ヒンドゥタイムズとコンビを組んだ昨年は、6着という結果でした。

 日曜のメイン、チャンピオンズカップは、ジャパンカップダートという名称でスタートした00年から数えて、今年が24回目。クロフネ(01年)、タイムパラドックス(04年)、カネヒキリ(05年)、ヴァーミリアン(07年)と、4度の戴冠を味わった僕にとって、たくさんの思い出が詰まったレースです。

 今年は、兄弟子、河内洋先生からアイコンテーラーの騎乗依頼をいただき、“よしっ!”と思っていただけに、悔しさは2倍、3倍です。この借りは絶対にお返しするので、もう少しだけ、お待ちください。

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