幕末の俠客、清水次郎長は子どもの頃から手のつけられない悪ガキでした。
15歳で家のカネを持ち逃げし、23歳の時には博打のもつれで人を斬って無宿人に。
その後、黒駒勝蔵らと血で血を洗う抗争を繰り広げてのし上がり、海道一の大親分と言われるようになりました。
しかし、次郎長がヒーロー扱いされるようになったのは、単に喧嘩が強かったからではありません。
世のため、人のために働いたからです。
次郎長の前半生は、喧嘩と博打に明け暮れるヤクザ者でした。
ところが時代が明治に変わる頃になると荒れた生活が一変。
別の顔を見せ始めます。
清水港を改修し、茶を輸出するための定期航路誕生に奔走。
囚人の更生事業として富士山麓を開墾。
遠州相良(さがら)油田の開削や寺の建立を後援するなど、社会事業家へと転身。
この後半生の行動が次郎長の評判を高め、人々の尊敬を集めたのです。
「これからの日本人はオツムで勝負」と考えたのか、若者の教育にも乗り出し、自宅に塾を開いたりもしています。さて、次郎長が始めたのは、何を教える塾だった?
1.英語塾
2.政治塾
3.金融塾
答え :1
出題:浜川卓也