四谷荒木町の車力門通りを歩くと、昭和時代を思い出させる、そんな小料理屋やスナックが建ち並び、まるで映画の撮影所に迷い込んだかのように錯覚するほど。
そして、その道を突き当たると現役のお坊さん・藤岡善信さんが経営する四谷坊主barが表れる。

今年で、14年。お店のドアを開けると、藤岡さんが笑顔で出迎えてくれた。
数人のお坊さんが、カウンター越しから笑顔で迎えてくれる。
店内にはお線香の匂いで包まれ、仏壇もあって不思議なbarだ。
藤岡さんは、生まれは兵庫県で岡山育ち。子どもの頃は「東京」への憧れはまったくなかったと言う。

18歳の頃、学校の先生の薦めで”ボクサー”になるべく大学進学の為に東京にやって来た。東京にはじめてやって来た時に、渋谷の駅に降り立った瞬間、「あっ、ここは自分の場所だ」と直感したと言う。「地に足がついたと言うか、居心地が良かったんですよね。」と過去を振り返る。
その後、ボクサーになる夢は諦めたが、お坊さんになろうと閃いた。
そして、修行の道へ。24歳で出家し、同時に四谷に坊主barもオープンさせた。

「私は人と接することが好きで、たくさんの人と触れあいたかったんです。
人と接する事で何かを伝えたいと思ったんですね。普通の生活では、なかなかお寺に人は来ないですよね?だったら、『新しい形のお寺』を作ってしまおうと思って」と語る藤岡さん。坊主barがオープンすると、人から人へ口コミで広がり、14年間で約80000人以上が四谷坊主barに来たと言う。「お店に遊びに来るお客様の中には、直接私に悩みを言葉に出して話さない方もいますが、このお店は背負っているモノを置いていく場所だとも思っているんです。だから、私にとって、このお店は世界に負けない居心地の良い場所だとおもっているんですよ。ある意味、お寺よりもお寺らしいと言うか(笑)」と微笑んだ。

藤岡さんは、『若い人へのメッセージですが』と前置きした上で、「東京って、人がたくさんいますし、色々な世界や自分の住む世界を見つけやすいところだと思うんですよ。でも、希望を持ちすぎて来る場所でもないと思うんです。だから、自然体で東京に来れば、きっと何かを発見出来ると思うんですよ」と話してくれた。

藤岡さんにとって「東京」はどんな街ですか?と言う質問をしてみた。
すると、即座に「生きやすい場所」だと答えてくれた。「私は、会社員の方々のように、まともに生きる才能がないと思ってて(笑)ずっと劣等感があったんですよ。
だから、私みたいな雑多な人間でも生きていける懐が深い街が東京だと思ってるんです。
街によってカラーもあるし、世界の縮図と言いますか、”曼荼羅”ですね」と。

藤岡さんの話しに興味を持った私は、藤岡さんが今、何を考えて生きているのか率直に聞いてみた。すると興味深い話が聞けた。
「仏教観から考えると必ず”終わり”が来るんですよね。人で例えると”老後”です。
私たちは自分自身”無力”な自分をイメージして生きることが重要だと思うんですよね。
本当は、若い内からそれをイメージした方が良いと思います。お金や地位でもなく。
そうすると、今、どう周りの人たちと接したら良いか、感謝の気持ちも湧いてきますし、自ずと見えてくると思うんです」

藤岡さんの元には、他のbarでは受け入れられないお客さんも救いを求めて来ると言う。
「精神的なもので働けなくなってしまった人の、潰れてしまった魂の再生もしていきたい」と語った藤岡さんの話しに興味を持った私は、どういう意味か詳しく聞いてみた。
先日、藤岡さんと同い年位の初対面の女性が坊主barに来た。
過去に両親のDVがトラウマになり仕事もままならず、生活保護を受けていたが、生活保護が切れて「明日からホームレスになってしまう」と駆け込んで来たと言う。
オープンからクローズまでいたと言うこの女性に、食事まで作ってあげて、坊主barの上にある”座禅ルーム”に一泊泊めてあげたそうだ。
次の日、千円札一枚と『有難うございました』と書かれた置き手紙がテーブルの上に置いてあった。
「あの人は、今ごろどうしてるんでしょうね?これから、私に何が出来るのか今色々なことを考えているんですよ」
とその時のことを思い出すかのように語っていた。
今夜も、東京の街から心の拠り所を求めてこのお店に人々がやってくる。

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