世界一治安がいいと称賛される、わが国・日本。その治安を守っているのが日本の警察なのだが、時として、無実の国民を犯人にしてしまうことがある。

たとえば、大阪府警では昨年7月から3月までの9カ月間に、なんと8件もの誤認逮捕の失態を演じている。冤罪事件に関しても、誤認逮捕に比べれば数は少ないが、近年でも最高裁での無期懲役刑の確定から一転して、無罪になったケースもある。

なぜ、無実の罪で国民が逮捕されたり、罰せられるような事態が起こってしまうのだろうか。その理由を探っていくと、警察組織の杜撰な捜査の実態があった――。

第一に、誤認逮捕と冤罪の違いについて説明しよう。この2つ、似ているようで、実は大きく違うものなのだ。

誤認逮捕は、無実の罪の者を誤って逮捕してしまうこと。ただし、起訴はされずに保釈されたケースを指す。逮捕した時点では容疑者であり、犯人と断定していないため、警察側にはいかなる罰則もない。

しかし、逮捕の時点でマスコミに、あたかも犯人かのような報道をされるうえに、最大20日間、留置場に勾留され、取調べを受ける苦痛は想像を絶するものがある。

一方の冤罪は、容疑が確定し、起訴されて裁判にかけられたケースだ。その結果、有罪・実刑となれば刑に服することになるが、晴れて無罪が証明されれば、国から補償金が出る。しかし、その額は勾留1日あたり最高で1万2500円と、受けるダメージの大きさを考えれば微々たるものだ。

法治国家において絶対に起こってはならない誤認逮捕と冤罪は、どのように起きているのか。まずは誤認逮捕の例を見ていこう。

2010年に、大阪で発生した強制わいせつ未遂事件。逮捕されたのは大阪市内に住む男性だった。現場付近で被疑者のものと似た車が目撃されていたことや、被害者女性の"この男性の顔が犯人に似ている"という証言から、大阪府警は逮捕に踏み切った。

ある朝、男性の自宅に突然、警察官が現れ、家に入り証拠品を探し出した。身に覚えのない男性は必死に犯行を否定したが、捜査員はその場で男性を逮捕。警察署に連行し、犯行を認めるように迫ったという。しかし、逮捕から数日後に、男性は、事件発生時刻に医療機関に行っていたことを思い出し、診療記録からアリバイが成立、釈放された。

明確な証拠がないなかでの警察官の決めつけと、思い込みで捜査を行っていた杜撰な実態が透けて見えてくる。

次に、冤罪事件の例を挙げよう。冤罪事件と聞いて、真っ先に思い浮かぶのが足利事件だろう。90年、栃木県の足利市で幼女が誘拐され、殺害された事件で、逮捕された菅家利和さんは00年に、最高裁で無期懲役刑が確定。逮捕の決め手となったのは、本人の自供と、当時、捜査に導入されるようになったばかりのDNA鑑定だった。

しかし、後に自供は、当時の取調官の圧力に屈した菅家さんがやむなくしたものであること、現場に残されたDNAと菅家さんのそれが一致していた当初の鑑定結果が、再鑑定では覆ったことなどから、10年3月、再審で無罪を勝ち取ったのだ。

無実の菅家さんは17年半にわたって、勾留、刑務所生活を余儀なくされ、その間に実の母親を亡くしている。捜査員が土下座しようが、国家賠償が支払われようが、決して埋め合わせがつくものでないことは言うまでもない。

だが、冤罪事件は足利事件のようにマスコミの注目を集めた事件だけではない。その例を、いくつか紹介しよう。
 
12年、恐喝の容疑で逮捕されたのはA氏(40代)。一審判決で懲役2年とされたが、東京高裁での控訴審で無罪判決を勝ち取った。
「A氏の容疑は有力暴力団Xの名を出すなどし、11年、飲食店会社社長・B氏らから同社応接室にて50万円を脅し取ったというものでした。だが、そのように脅したという証拠は、社長と社長室長2人の供述しかなかったんです」(事件に詳しいジャーナリスト)

被害者側の証言だけで有罪判決を下すとは、なんとも危うい話だが、一審判決後に、B氏が恐喝されたとされる直後、A氏と寿司店、韓国クラブを訪れていたが、B氏のクレジット決済の履歴と、韓国クラブの従業員の証言から発覚したのだ。
「恐喝をされた直後に、当事者2人で飲食店を訪れるなんてことはあり得ないでしょう」(前同)

実は、B氏の経営する飲食店の店舗が、A氏が管理する東京・六本木のビルに入っており、ビルの建て替え工事に伴う店舗立ち退きの件で、2人は揉めていたのだ。
「この背景から見えてくるのは、建て替えに際する立ち退き料などの交渉を有利に進めるべく、B氏側が事件をデッチ上げたという構図が見えてきます」(同)

それにしても、なぜ、警察はB氏側の主張を一方的に信じ、逮捕にまで至ってしまったのだろう。

そこで浮かび上がってくるのが、警察庁の大号令の下、推し進めている暴力団排除運動だ。

「A氏が有力暴力団Xの名前を出したと聞いて、"これは手柄になる"と警察官は舞い上がってしまったんでしょう。真偽はともかく、Xの関係者を有罪にまで持っていければ、その警察官は大手柄ですからね」(全国紙社会部記者)
 
A氏はいま、虚偽告訴罪や国賠訴訟などを準備中だ。

暴力団と聞けば、裏づけ捜査も十分にせず、逮捕してしまう……。なんとも驚くべき事例だが、さらに、とんでもないケースも存在している。

汚職警官とヤクザがタッグ!?

昨年、ある有力暴力団の元組長が暴行などの容疑で逮捕された事件だ。これは、そこの所轄署が組長(当時)を暴行容疑で逮捕に行った際の家宅捜索で、拳銃と覚醒剤が出てきたというもの。

だが、この事件には不審な点が多い。まず、逮捕のきっかけとなった暴行罪だが、当初は一般人とされていた被害者だが、第二審で元組長の組の構成員だったことが判明。つまりデッチ上げだったことが証明され、暴行罪に関しては逆転無罪となっている。

次に拳銃と覚醒剤に関して、元組長が衝撃的な証言をしている。
「実は、組織のナンバー2・若頭が組長の座を狙い、警官と結託。元組長宅に拳銃と覚醒剤を仕込んだと主張しているんです」(暴力団事情に詳しいジャーナリスト)

確かに、発見されたブツから、元組長の指紋もDNAも一切出てこず、元組長の体からも覚醒剤反応は出なかった。

となると、元組長が法廷で主張していた若頭と汚職警官の陰謀説の信憑性が増してくるように思える。この事件の取材を続けているジャーナリストは、こう指摘する。
「今回の事件の捜査に当たった警官は、暴力団との癒着疑惑が出て、所轄署に異動させられた人物なんですが、本部復帰を熱望していた彼が、有力組織の組長を逮捕するという手柄を立てれば、本部への復帰に大きく近づく。そう考え、組長の座が欲しい若頭と結託して、元組長を陥れようとした可能性が考えられます」

さらに、こう続ける。
「しかし、大物組長の拳銃、薬物所持ともなれば、所轄署ではなく、いきなり本部の出番になってしまう。そこで考えたのが、所轄署でも捜査ができる暴行罪をデッチ上げるということだったのでは?」

まさか……。
元組長は銃刀法違反、覚せい剤所持の罪で懲役6年の実刑を言い渡され、現在、刑務所に服役中だ。

組長の座を巡って、若頭と汚職警官が現役の組長を陥れようとしたのが真実であるならば、まさに北野武監督の映画『アウトレイジ』を地で行く実態だ。

冤罪・誤認逮捕の裏に隠された検挙数至上主義

汚職警官の存在は特別だとしても、警察の思い込みや決めつけによる先入観で、捜査もそこそこに不当な逮捕が行われている実態があるのであれば、それは衝撃的な話。なぜ、このような事態が起こってしまうのだろうか。

そのひとつの理由として、警察組織に根づく「強いタテ社会」という体質が挙げられるという。
「各警察署には、同僚や部下、幹部からも大きな信頼を得ているエース捜査官が存在します。警察は実力の面でもタテ社会です。エースに異論を唱えることは、相当な"勇気"が必要になります。となると、組織全体が"エースが、この男が犯人だと言うのだから間違いない"という思い込みが大きくなってしまうんです」(警察事情に詳しいジャーナリスト)

さらに、その思い込みで犯人を逮捕するのに、都合のいい事情もある。それは、警察の捜査書類は聞き込みの内容をすべて検察官などに提出する必要がないのだ。
「実際、容疑者がほぼ特定できた場合、捜査官は必死に裏づけ捜査に走ります。このとき、容疑者が犯人ではないとする証拠が出てくることも多いんですが、それらの証拠は捜査書類にて報告されることはありません」(前同)

また、冤罪、誤認逮捕を生み出すもう一つの温床が、警察組織全体に蔓延している検挙率至上主義という体質だ。

各警察組織には、ノルマとも言える1年間の検挙数に関する「努力目標」もしくは「目標数値」が存在する。たとえば、「検挙率○%以上」「検挙率前年比○%以上」といったものだ。実際の検挙数は警察署ごとに警察庁が毎年発行する警察白書で公表される。
「それがいわば、警察署にとっての成績表のようなもの。1、2年ごとに異動する警察の署長にとってみれば、愛着もない土地の治安よりも、この数値が自身の出世に大きく関わるので、数字に関して異常なまでに敏感です」(同)

検挙率アップが至上命題の警察が強引な捜査で逮捕に踏み切る一方で、警察が被害届を"にぎる"ということもある。

"にぎる"とは警察内での隠語で、被害届の受理を拒否することを指す。そこには犯罪認知件数の低下が、日々のパトロールなどの活動で犯罪を未然に防いだことの証しとして評価される背景があるのだ。

神奈川県警厚木署では、10年に、夜間の当直中に被害届の受理が10件を超えた場合、当直者全員にペナルティーを課していたことが発覚し、大問題となった。これでは「被害届を受理するな」と言っているようなものだ。

そんな警察の怠慢ともいえる体質が招いてしまった大惨事が、99年の桶川ストーカー殺人事件だ。
「元交際相手からストーカー被害を受けていた被害者は、何度も警察に足を運び、告訴状(被害届とは違い、相手に処罰を求めるもの)を出していたんですが、あろうことか警察は、告訴状の改竄、さらには、告訴の取り下げを被害者に要請していたんです」(前出・社会部記者)
 
11年に起きた長崎でのストーカー殺人事件でも、同じ過ちが繰り返されている。ストーカー被害を受けていた家族は、被害届を出しに警察を訪れたのだが、「1週間、待ってほしい」と突き返された。
「実はその2日後に、ストーカー犯罪の責任者である生活安全課の課長、被害届受理を断った刑事課の係長が揃って、北海道へ慰安旅行に行っていたことが発覚しています」(前同)

その後、ようやく被害届は受理されたのだが、そのわずか2日後に事件は発生してしまった。

もし、被害届を出した時点で警察が慰安旅行を取りやめ、捜査に乗り出していたら……。
『本当にワルイのは警察~国家権力の知られざる裏の顔~』(宝島社刊)などの著書もあり、警察の不正に詳しいジャーナリスト・寺澤有氏は、被害届の不受理について、こう指摘する。
「以前、私も知人から、警察が被害届を受理してくれないと相談を受けたことがあります。そのときは、ビール券を渡したらどうかとアドバイスをしました。もちろん本来オススメできるような方法ではありませんが、実際、これで被害届が受理されたそうです」

検挙率アップのために、裏づけ捜査もおろそかにして、強引な逮捕に走ることもあれば、犯罪認知件数低下のために、被害届を握りつぶすこともあるという警察。

国家の治安を守るための「逮捕」が、こうような基準で執行されているとなると、この国の治安は本当に大丈夫なのかと不安になる。

これらが一部の特異な例で、大多数の警察官は我々を懸命に守ってくれていると信じたいが……。

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