都知事の大号令で歌舞伎町浄化作戦開始の画像
都知事の大号令で歌舞伎町浄化作戦開始の画像

03年に、石原慎太郎都知事(当時)の大号令の下に行われた歌舞伎町浄化作戦。前年のパリジェンヌ銃撃事件などを契機に、不法滞在外国人の締め出しに重きを置いて始まった。

4月22日の摘発を手始めに、石原都知事はこう息巻いていた。
「5年間で東京の不法滞在外国人を半減させる!」

02年2月には全国に先駆け、警視庁は犯罪予防を目的として、歌舞伎町の街頭に50台の防犯カメラを設置した(現在は55台)。

並行して風営法も改正され、06年5月からは従来からの0時以降営業の罰則が強化され、外国人女性の就労資格確認の義務づけ、客引きの禁止などが加わった。

この規制で軒並み、中国人クラブ、韓国人クラブなどが閉店に追い込まれ、中国マフィアの姿はほとんどといっていいほど街から消えた。

しかし、浄化作戦の真っ只中の04年4月に、関東ヤクザと関西ヤクザの抗争が歌舞伎町で勃発したのである。

歌舞伎町の立体駐車場で山口組系組幹部が車に乗り込もうとしたところ、3人の住吉会系組幹部に射殺されたのだ。

そもそもの発端は、歌舞伎町内に山口組系が組事務所を構えたことに対する住吉会系の反発だったという見方が噂されている。

事件後、双方の幹部同士の話し合いの場が持たれ、平和的な決着となった。

しかし、この事件がきっかけとなり、不法滞在外国人ばかりに目がいっていた石原都知事が、浄化作戦の第2幕として本格的に"対ヤクザ"に動き始めた。
「ヤクザはヤクザでしかない!人に迷惑を掛けず良いことして生きてるヤクザなんて聞いたことがない」

こう言い切り、ヤクザ組織の資金源となっていた"みかじめ料"の不払いを徹底させたのだ。

こうして、裏社会を取り仕切っていたヤクザたちの手足が縛られるなか、台頭してきたのが、組織に所属せずに、非合法活動を行う"半グレ"集団だった。

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