吉永小百合も標的にした“昭和の爆弾魔”!

夏休み特集 世界を震撼させた未解決事件の真相

CASE4 草加次郎事件 1986~91年 日本

日本が高度成長期に入り、東京の人口が1000万人を突破した昭和37年。顔の見えない、不気味な爆弾魔の暗躍が続き、東京都民が震えた。

草加次郎事件――。
「愉快犯」という言葉は、この事件から生まれた。

最初の犯行は11月4日だった。歌手・島倉千代子の事務所に届いた差出人不明の小包が突然爆発。事務員がケガをする。

小包の中には黒色火薬とマッチで作られた爆弾装置がセットされ、開封すると作動する仕掛けになっていた。包み紙の表には「祝」と「呪」の文字。裏には「草加次郎」「K」の文字があり、鮮明な指紋も残っていた。

その後、1カ月あまりの間に、都内で爆発事件が続発する。
●11月13日 六本木のクラブホステス宅で郵便物が爆発。
●11月20日 有楽町の映画館ロビーでボール箱が爆発。
●11月26日 日比谷劇場でボール箱が爆発。
●11月29日 世田谷の電話ボックス内で石川啄木歌集のケースが爆発。
●12月12日 浅草寺境内でエラリー・クイーンの小説に仕掛けられた爆薬を発見。

これほどハデに犯行を重ねても、捜査当局が犯人を特定できないまま、年が明ける。すると、捜査当局をあざ笑うがごとく、草加次郎の手口は凶暴さを増した。

7月15日、上野でおでん屋主人が銃撃され、瀕死の重傷。数日後、被害者の体内に残っていたものと同じ弾丸が、草加次郎の署名入りで警察に郵送されてきた。
9月5日には、地下鉄銀座線の車両でタイマー式爆弾が炸裂。10人が重軽傷を追う惨事となった。

ごく普通の日常生活の中、いつ、どこで被害者になるかもしれない。人々は底知れぬ不安を感じた。

草加次郎が最後のターゲットに選んだのは、当時人気絶頂だった女優・吉永小百合である。事務所にピストルの弾丸入りの脅迫状を送りつけて現金を要求。実行されない場合、吉永小百合を殺害すると予告していた。

脅迫状には、現金の受け渡し方法として、青森行きの急行列車から、指定の日付け・時間にカネを投げ落とすよう指示されていた。
これは、黒澤明監督の映画『天国と地獄』で描かれた身代金受け渡し場面とソックリだった。

警察は犯人逮捕の好機と考え、現金投下ポイント一帯に大規模な捜査陣を配置。だが結局、最後の投下合図が出ないまま終わってしまった。犯人は、右往左往する警察の様子をニヤつきながら眺めていたのかもしれない。

以後、草加次郎は完全に姿を消す。警察が逮捕したのは模倣犯だけ。ついに事件は、昭和53年9月5日、時効が成立した。

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