日本初の天気予報は、明治17年(1884)6月1日に東京気象台(気象庁の前身)から発表されています。

その内容は、「全国一般風ノ向キハ定リナシ天気ハ変リ易シ但シ雨天勝チ」でした。

なんとも大雑把な予報ですが、当時としては、これでも画期的だったのでしょう。ラジオもテレビもない時代ですから、予報は役所や駅に貼り出して市民に知らせました。

それから100年以上も、国は天気予報を独占し、民間の介入を拒んできました。特に管理が厳しかったのは戦時中です。航空作戦に影響を与える天気情報は軍事機密とされ、一般人から遠ざけられました。

日本軍が気象現象を"兵器"として利用したのが風船爆弾です。爆弾を取り付けた直径10メートルほどの風船をジェット気流に乗せて飛ばし、アメリカを爆撃するという作戦でした。

およそ1万発が飛ばされ、300~1000発がアメリカ本土に到達したといわれています。

太平洋を飛び越える史上初の兵器に驚いた米軍は、爆弾の構造を研究。

風船が和紙でできていることを突き止めます。しかし、紙を貼り合わせる接着剤については、ついに特定できなかったそうです。

さて、風船爆弾に使われたのは、何を原料にした接着剤だった?


答え :コンニャク芋

出題:浜川卓也

本日の新着記事を読む